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木下威征 不良が辻調留学でフレンチシェフ!本物になれた大切な事と逆転人生

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こんにちは(こんばんは)!
管理人の hiroro@ です。

 

今回ご紹介するのは
フレンチシェフの
木下 威征(きのした たけまさ)さん。

 

海外からの取材では
「世界で活躍するシェフ」として紹介され
「AU GAMIN DE TOKIO /
 オー・ギャマン・ド・トキオ」開店を機に
フレンチレストランの概念を変え
レストランや洋菓子店、物販店
リゾートホテルとレストランなど
ギャマングループを展開して
木下 威征さんの名が知られています。


  出典:gamin.com

喧嘩三昧の不良時代から抜け出し
ビリからトップになって
フランス料理の若きシェフとして注目され
鼻高々のフレンチシェフは
概念を変える大切な出来事に出会い
何を求めて
「独創的な料理をつくる個性豊かな料理人」
として成長していったのか
木下 威征さんを
探っていきたいと思います。

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木下威征さんの不良

名前:木下 威征(きのした たけまさ)

 1972年生まれ
 東京出身多摩市生まれ

当時は
父親(会計士)と母親と妹の4人家族

 

木下 威征さんの祖父は
淡路島に広大な土地を買い
「神戸牛」の生みの親で資産家でした。

 

木下 威征さん
小学校の頃は野球、サッカーで遊ぶ
スポーツ万能で勉強も優秀、
いわゆるクラスのリーダー的存在。

 

中学入ると
小学校時代仲よく遊んでいた友でも
「先輩」という立場になり
制裁を食らって
ボコボコにされてしまいます。

 

負けん気が強く、仕返しに行き
喧嘩を繰り返すようになります。

 

高校に入学しても
ろくに学校にも通わず
ほとんど家にも帰らず
麻雀や暴走族、喧嘩に明け暮れる日々。

 

各所から毎回のように
親が呼び出される始末、
素行の悪さで
母親をよく泣かせていました。

 

警察にも暴走族で検挙され
少年院に入って
母親が面会に来た時
涙をためて深々と頭を下げては
周りの人に謝っています。

 

久しぶりに会った母親は
思っていた以上に老け込んでいて
頭には十円ハゲが
いくつもできていました。

 

木下 威征さん
「これは俺のせいだ。
 もう悲しませちゃいけない。
 いい加減
 目を覚まさなきゃいかん。」という
思いになりました。

 

少年院にて
辻調理師専門学校の講演があって
感動して手紙を書いたら
面会に来てくれて
差し入れの中に料理の本がありました。

 

「料理人として腕で勝負する」と
一念発起して料理の道を目指そうと
父親の会計弁護士事務所で
1年間、1日1万円で働かせてもらい
入学金を工面して
辻調理師専門学校に入学します。

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木下威征さんの辻調

辻調とは
辻調理師専門学校で
エコール 辻 東京の
「辻フランス・イタリア料理
 マスターカレッジ」に入学します。

 

木下 威征さん
入学してみたものの
周りは
料亭やレストランの子息や
すでに飲食店で働いていた経験者など
食のエリートの同級生たちでした。

 

勉強を全くしてこなかったために
フランス語の前に
先生が
「This is」 「I have」と
英語と比較しながら説明してくれますが
英語すらわからないし
まして
フランス料理すら食べたこともありません。

 

負けたくない思いは誰よりも強く
わからないなりに必死に学び
授業ではいつも先頭の席に座って
先生に過去の事情を話し
毎日居残りで特別授業をしてもらいました。

 

次第に
フランスの料理や歴史が面白くなってきて
興味もわいて成績が伸びていきます。

 

実は当時
MVPになれば
フランス校への留学費用が免除になるという
システムがありましたから
どんどん勉強して力をつけていき
先生の支えや木下 威征さんの努力の結果
本当にトップになってMVPに選ばれ
辻フランス・イタリア料理マスターカレッジを
1992年に首席で卒業しました。

木下威征さんの留学

辻調卒業後
木下 威征さんはリヨン郊外にある
辻調理師専門学校のフランス校に留学。

 

勿論、全てフランス語で
とにかく
優秀な生徒たちがやってきて
みんなすごく勉強していました。

 

授業は
朝6時半から夜12時位に終わり
すぐに次の日の準備を始め
部屋に戻るのが1時~1時半で
さらに
それから自分の勉強をします。

 

木下 威征さん
夜こっそりと寮を抜け出し
ディスコ通いで遊びまくり
そのおかげで
自然とフランス語が
より身に付いていったようです。

 

フランス校でも
上位3番目までの成績の人は
超一流の三ツ星レストランで
見習いとして働くことが出来ます。

 

フランス校でもトップの成績を取り
学校からの見習い期間として
三ツ星レストランで修行しますが
肝心の料理は教えてもらえず
見習い期間が終わったら
正式に雇ってもらい働こうと決心します。

 

その後
何日も何日も三ツ星レストランの
勝手口に立ち続け
幸運にもようやく入ることが出来ました。

 

三ツ星レストランは
皿洗いでさえ正式に入るのは難しい事です。

 

フランスでは
観光ビザで働くのが厳しくなり
その後は
イタリアで働いて修行していきます。

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木下威征さんはフレンチシェフ!

木下 威征さんは帰国して
日本初のフレンチ・ビストロ
(原宿のオープンテラスカフェ)
「AUX BACCHANALES / オーバカナル」が
 オープンにあたり
 立ち上げメンバーであったものの
 21歳で一番下っ端として働き
 23歳でスーシェフ(副料理長)として
 約5年在籍し
 三ツ星レストランのシェフたちが
 視察に来るほどになりました。

 

その後
26歳で白金台「MAURESQUE / モレスク」を
パートナーと開店し料理長を9年間務め
隠れ家的名店に育てあげました。

 

フランス料理の若きシェフとして
世間の注目を浴びながら
鼻っ柱の強い性格で
着々とのぼり上がりますが
腕は確かなものの
ある出来事によって
フランス料理のカテゴリに
人生逆転の大事なものを見つけます。

 

2008年5月に独立して
「AU GAMIN DE TOKIO /
 オー・ギャマン・ド・トキオ」を開店し
 夢だった自分の店で
 フレンチシェフとして活躍していきます。

「ギャマン」はフランス語で
「いたずら小僧」の意味で
「枠にとらわれない、
 いたずら小僧」という店名です。


  出典:gamin.com

フランス料理店の常識を覆す
全対面オープンキッチンが評判を呼び
気さくな空間を楽しめるようにし
お客様との会話、
おもてなしの心にこだわり
「気取らずに
 美味しい料理を食べてもらいたい」と
フランス料理という
カテゴリにとらわれず
常に周囲を驚かせる独創的な発想と
心温まる料理で
日々厨房にて腕を振っています。

 

現在、
株式会社T.K-BLOCKS(ブロックス)の
代表取締役社長として
レストランや洋菓子店、物販店、
沖縄・宮古島での
レストラン・ホテル事業など
ギャマングループを展開。

 

テレビ出演やレシピ本の執筆、
商品開発プロデュースなど、
食にまつわる幅広い領域で
活躍を続けています。

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木下威征さん 本物になれた大切な事と逆転人生

最も大切なのは
愛情にかなう料理はなく
料理に想いを込め
お客様への感謝。

 

枠にとらわれることなく
オープンキッチンにこだわる理由は
お客様の顔が見えることにあり
お客様と対話しながら
その時の気分を察して
感謝を料理にそそぎ込めば
それが素敵な思い出となる。

 

木下 威征さんが
本物のシェフになれた
大切な事となったきっかけは

白金のフランス料理店の
「モレスク」で働いていた頃
常連客のご夫婦と可愛いお嬢さんがいて
若いお嬢さんが病気に侵され
「きのやんが作った
 お子様ランチが食べたい」と訴えました。
(“きのやん” は木下さんの当時の呼ばれ名)

 

お子様ランチなんて
メニューにもないし
作ったこともなかったのですが
店にあった
最高級の和牛を叩いてハンバーグや
オムレツを心を込めてつくり出した
お子様ランチ。

「おいしい、おいしい」といって
食欲を失っていたにもかかわらず
2時間かけて食べてくれました。

 

その後
お嬢さんの父親から
「両親に連れられて
 一流レストランの料理は
 どれも美味しかった。
 でも、
 本当に温かさを感じたのは母の料理と、
 きのやんのだけだった。」と残して
お嬢さんは他界されたと告げられ
最後の晩餐が
きのやんのお子様ランチだったことに
号泣したようです。

 

木下 威征さん、それまでは
「これが最高のフレンチ」と
言わんばかりの鼻高々で
お客様の気持ちも考えず
自慢のフレンチ料理を提供するだけの
料理人に過ぎなかったのです。

 

そのお嬢さんの出来事によって
鼻を折られたフレンチシェフは
料理のテクニックがあるのは当たり前
「フランス料理」にこだわるのではなく
「お客様が食べたいものを
 心を込めて作った温かい料理」を信念に
フレンチの常識を破り
独自の料理哲学で
お客様の舌と心をうならせ
お客様へのおもてなしの心を大切にし
魂を込めた一食入魂に徹し
「フレンチではない!邪道」と思われても
本物の料理人として歩む逆転人生。

 

お嬢さんが最後の食事に
フレンチメニューにない
お子様ランチを求めたように
料理人がすべき姿は
その人が一番食べたいと思う料理を
誠心誠意魂を込めてつくり
料理を召し上がっていただき
そしてお客様に喜んでいただくことで
それが素敵な思い出となり
フレンチの常識なんて関係ないことです。

 

木下 威征さんにとって
フランス料理というのは
あくまでも木下さんが
勉強して学んできた
料理スタイルのひとつであって
「自分のつくった料理で
 人を喜ばせたい」という
料理人としての根源にある気持ちが
「オー・ギャマン・ド・トキオ」を
開店した逆転人生のきっかけでもあり
本物の一流シェフとして認められた証です。

 

ギャマングループの料理は
柔軟な発想にして
おもてなしの想いで
枠にとらわれず取り組んでいます。

木下威征さんのまとめ

木下 威征さん
元々
スポーツ万能、勉強も優秀だったのに
札付きの不良に転落し
母親の姿を見てそこから抜け出て
一念発起し
辻調理師専門学校に入学。

 

ビリからトップへとのし上がり
フランス校に留学し
フランス、イタリアの
三星レストランで修行して帰国。

 

フランス料理の若きシェフとして
世間の注目を浴びていきますが
転機を与えてくれた
「お子様ランチ」で
心をこめて作った温かさ
お客様本位のおもてなしが
大切な事と知った木下 威征さん。

 

フランス料理の枠を越えた
「木下料理」の
「自分の作った料理で人を喜ばせたい」一心で
「オー・ギャマン・ド・トキオ」を開店し
ギャマングループと成長していった
逆転人生の木下 威征さんでした。

 

お客様本位の料理を作っていれば
おのずとお客様は足を運ぶ
これからも「木下料理、一食入魂」で
みなさんを笑顔にさせてほしいですね。

 

最後までお読みいただき
ありがとうございました。

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