焼き鳥自動串刺機 借金から開発した歴史と秘策でコジマ技研世界一の逆転人生

今回は焼き鳥の「自動串刺機」のお話です。

8月10日は「焼き鳥の日」で「や(8)きと(10)り」の語呂合せ、食べるほうではなく、作る側の「串刺し」の大変さを考察していきたいと思います。

竹串、金属串様々な串がありますが色々な食材に一本一本「串を刺す」職人技を
自動で串を刺す自動串刺機。

串刺しの食材も様々にありますが、一番に思い浮かぶのは焼き鳥でしょうか。

ほんの昔から焼き鳥串刺機はあったのですが、なぜ串刺機が登場したかと言うと
焼き鳥屋さんや居酒屋さんの「串刺し」って結構大変でした。

「じゃ~自動で刺せば」って各機械メーカーが開発したのですが、どれも均一に刺せない串刺機でどこの会社の自動串刺機も使い物にならない機械でした。

焼き鳥を焼いている内に、肉が縮んで肉同士が離れてしまったり、その間の竹串が焼けて折れてしまったり、普通に刺しただけではうまい具合に焼けなかったのです。

そんな時、借金を背負ったエンジニアが試行錯誤して「焼き鳥自動串刺機」を完成させ、他社は追随出来ずオンリーワンになっていく話です。

焼き鳥自動串刺機は借金から開発した歴史

焼き鳥自動串刺機を開発しコジマ技研工業を設立した、小嶋 實(みのる)さん

生年月日:1933生まれ
出身:茨城県
学歴:日本大学工学部
1957年:旭精工入社
1965年:退社し独立
1981年:コジマ技研工業設立
(昭和56年5月)
神奈川県相模原市

代表取締役:小嶋 道弘さん

会長:小嶋 實(みのる)さん、2020年11月15日87歳でお亡くなりになられ、
ご冥福をお祈りします。

小嶋 實(みのる)さん、大学卒業後、ベアリングメーカーを経て知人たちと半導体関連の製造会社を川崎市内に設立。

小嶋 實(みのる)さんは、エンジニアであり技術担当として働き数年は順調でしたが、知人である社長が会社のお金を使い込み、連帯保証人として3千万円の借金を背負うこととなり1974年に倒産。

会社を整理することになり連日遅くまで残務処理に追われ途方に暮れる中、仲間と一緒に行きつけの焼き鳥屋でやりきれない思いで酒を飲んでいる時、店主から「ネタがなくなったから閉店にする」と言われます。

小嶋 實さんは「どうしてたくさんつくらないのか?」と尋ねると、店主は「焼き鳥は仕込み(串刺し作業)が大変なんだ。自動で串刺しができる機械でもつくったらツケ代は相殺してやる」と言われ、このことが「焼き鳥自動串刺機」開発のきっかけです。

もう後がない、實(みのる)さんは一念発起し製品化に没頭し様々な形の肉に串を刺すのは手作業でも難しいとわかり、尚更「機械で刺すには?」と思案に明け暮れます。

機械で固定して刺せば肉と肉のすき間が均等にならないし、簡単に串を刺すだけに思えますがそう単純な事ではありませんでした。

焼き鳥の職人たちの間では「串打ち3年、焼き一生」と言われる程、一人前になるのに串刺しで3年かかるという職人技。

小嶋 實さんは肉屋や焼き鳥屋で働かせてもらって、肉の捌き方や串の刺し方などを体験しながら学び、コツを掴み、職人は肉質を見ながら肉を竹串に縫うよう微妙に上下させながら、ほどよく密着させ刺していることを知ります。

では、「どうすればまっすぐな竹串を上下に動かせるのか?」その秘策が見つかり試行錯誤を繰り返しました。
(その秘策は後述します)

1977年に串刺機を完成させ営業に行ってみると、市場にはすでに20社ほどの先行メーカーがありました。

どの会社の串刺機も串を均一に刺すことができずに職人から相手にしれてもらえず「串刺機は使い物にならない」という粗悪品のレッテルが貼られていた時代でした。

「ウチのは他社とは違う」と全国を回って実物を見てもらい、車内に泊まり込んでは実演を繰り返し地道な粘りの営業活動を続け、次第に「他社との違い」に気付いてもらい販売数も増加していきました。

3名で会社を運営していた典型的な零細企業でしたが1981年には専業メーカーとして創業。

1985年、コジマ技研株式会社を設立し同年、飛躍のきっかけが訪れます。

大手食肉メーカーから「アメリカンドッグ」全27ラインの自動生産ライン串刺機を大型受注し、食肉業界に技術的な「評価」と「串刺機のコジマ技研」の名を一気に知らしめる事になりました。

2000年には大手コンビニチェーンから「おでん用の串刺機」を受注しコンビニの課題要望は
・おでんの容器に穴を空けてはいけない
・こんにゃくを突き破らずに串を刺す
・30回振っても串から抜け落ちない
・こんにゃくが、くるくる回らない

という要望。

焼き鳥の串刺機を開発したコジマ技研にとっては、それほど難問題ではありませんでした。

どんな食材でも串を刺せるのがコジマ技研の串刺機の特長と、あらゆる要望に応えながら毎年のように新製品を出し続けました。

毎年、新製品を出すというのもコジマ技研のこだわりです。

2003年には競合メーカーは脱落し倒産、最初に串刺機をつくった会社ではない、コジマ技研工業株式会社の串刺機は逆転人生であり、海外からの注文も増えて世界30カ国以上に機械を納品するオンリーワン企業に成長しました。

コジマ技研の串刺機を真似た他社製のコピー串刺機はあるものの、コジマ技研の串刺機の性能には追いつかない一つの秘策がありました。

自動串刺機 秘策でコジマ技研世界一の逆転人生

コジマ技研の串刺機は、焼き鳥、魚介類、ウナギ、コンビニのおでん、串カツ、だんごから菓子まで何千種類ものどんな食材でも、どんな串を使っても串を刺せないものははないと言います。

さて、どうすればまっすぐな串を上下に動かして刺せるのかという秘策は、トレー(肉を載せる台)を工夫しバラツキをなくす解決策を編み出しました。

山と谷がある波形のトレーに肉を置きフタ(上から波形の型)で押さえながら串を刺すという方法で、トレーとフタの山と谷が絶妙に噛み合うように食材を押さえて人間の手がトレーとなって職人技を再現してしまった串刺機。

出典:ikinamo コジマ技研

ひとつ機械があればトレーの形状を変えることで、様々な食材に対応して串刺しが可能となります。

トレーの材質、波形の幅や高低さ顧客の要望に応じて対応し食材、肉質などによって注文ごとにカスタマイズされています。

当然ながら特許を取得しており他社が真似できないノウハウとなります。

串刺機の評価を得たころ、何歩も先を行くコジマ技研の製品は提携関係にあった製造委託先や販売を任せていた会社などに社員を引き抜かれ、大切な図面を持ち出され類似品の販売を始めます。

逆転されたように思いますが小嶋 實(みのる)さんは「そんな輩に時間と手間がもったいない、ウチは一歩上をいく製品を作ればいい」と言って毎年、新製品を出せばよしとして心の内は悔しくとも相手にしませんでした。

実際に毎年新製品を出していて他が真似しようにも追いつかず秘策は他にもありました。

機械の見えない場所に人の手で工夫が施されている部分があり、コピー機では同じ性能が出ないわけでこれがもう一つの秘策です。

このノウハウこそが逆転出来ない世界一の逆転人生でもあるわけです。

焼き鳥自動串刺機 逆転人生のまとめ

小嶋 實(みのる)さんは、借金を抱えながら焼き鳥自動串刺機を開発した歴史や、コジマ技研工業を設立し誰も真似できない秘策でオンリーワン世界一となった逆転人生。

エンジニアとして要望に応え求められるモノを作るのは基本であり、宿命であり夢なのかもしれません。

国内では人手不足問題が深刻で串刺機の需要が増えているそうです。

これからも役立つ串刺機であって欲しいです。

最後に、人手不足を背景に様々なロボットが活躍しする今、癒し系にまで開発され成長しているロボットです。

人件費削減といった意味で人の職が奪われるようなロボット投入にはならないような日本であって欲しいです。

世界をリードして役立つ機械をつくるコジマ技研工業さんを応援しています。

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

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