幸せの「はひふへほ」の話。心癒す知恵ある人生の言葉は幸福への入口

幸せの「はひふへほ」をご存じでしょうか?

幸せって何だろう?幸せって人それぞれです。

他人の良いところを見て幸せそうだと思っても、当の本人は幸せとは思ってないかもしれない。

他人の悪いところを見て不幸せそうだと思っても、当の本人は幸せだと感じているかもしれない。

幸せのかたちは、人それぞれ違うのですから比べるものでもありません。

幸せの「はひふへほ」

出典は様々あり不詳なのですが幸せに生きるための幸せの「はひふへほ」とは

・・・半分でいい

・・・人並みでいい

・・・普通でいい

・・・平凡でいい

・・・程々でいい

この幸せの「はひふへほ」を読んでなんか、ホッと癒されて私は、気持ちが楽になりました。

毎日が目一杯で疲れていませんか?

少し心の荷物を降ろし、肩の力を抜いて気負うことなく、楽に構えることも時には必要だと思います。

この、幸せの「はひふへほ」はすべてのものに共通する要素があり、今あることに満足しながら「幸せの捉え方」を考えるものです。

「はひふへほ」の生活

今、目の前ある普通のこと平凡でいる事ほど、幸せな事はないはずで、実はこの普通・平凡でいられる事、これが簡単なようで一番難しいのです。

「はひふへほ」の生き方、考え方は決して受け身のような受動的でも消極的な生き方でもなく欲張り過ぎず、過不足なく調和がとれていることで望ましい生活を送る、知恵だと思います。

「はひふへほ」を上手く活用

今、自分が持っている物が「半分」に減ったとします。

その時「もう、半分になってしまった。」と思うか「まだ、半分ある。」と思うか、考え方次第で次のステップが違うのです。

今の社会は、人間一人に、 求められるもの、課せられるものが短い時間の間で、非常に多過ぎるし大き過ぎるため、ストレスを抱えながらもやらざるを得ない時があると思います。

迷いや不安に陥る人もいれば(「はひふへほ」を思い出して下さい。)

逆に「この仕事を成功させたい」という欲望や欲求が高まる人もいます。

その欲があるからこそ、人は努力することができるわけですが、乗り越えなくてはならない困難な事や高い評価を得るためには、言わば自分のハードルを上げる事になります。

ただ、注意したい事は完璧主義のような自分が目指すのは100点の状態という常に満点を目指しているような人は、自滅したり、潰されたり、はじき出される事があります。

周りの人からすれば迷惑、厄介者と見なされますから人との調和性を整えながら状況を判断できる要素が必要となります。

失敗が怖いから、妥協はできないではなく「失敗はおそれない事」であり、もし失敗したら振り返って反省し、その反省に止まらずリセットして前に一歩踏み出すことが大切です。

成長するため上を目指す事も自分のハードルを上げる事も大切ですが、挫折してしまったら何の意味もありませんから、そのような時にはハードルを一旦下げて、見えない抑圧から自分を解き放し「はひふへほ」を思い出して頂きたいと思います。

最後に

私たち人間には欲望という欲しがる心があり、他人の持つ物が羨ましく見えたり自分に無い物を望んだり、もっと欲しいと言う欲望には際限がありませんが、人を意識する事よりも前に、自分の内側を知る事です。

今までの自分自身を認めて、自分の内側にたくさんの素晴らしいものが備わっている事、多くのものを手に入れてきた事、今の自分が得てきたもの、持っているもの、まずは、それに満足する事です。

すでに自分は持っているという事、それが足りているということを知る事「半分でいい」と思えば今で充分、満ち足りていてるかも知れません。

多くを求め過ぎず、あるがままを受け入れ、自分は今の自分のままでとっても価値があり今の自分が充足していることを知る事、「今の自分自身に満足することを知っている者」は心が豊かで幸せに繋がるということです。

今、生きている事、命を授かっている事自体に、満足を知るという事、普通でいられることがどれだけ大変か、当たり前の中にある幸せを感じられる事、それに気付いた人が、幸せを掴み「ありがたい」と感謝する心が湧き上がってくることでしょう。

そのありがたさを現実に知っている人は、当たり前をなくした人達だけです。

今あるもの全てが遥かなる彼方からのプレゼント・・・

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