プリンセス駅伝はクイーンズ駅伝の予選会です。
プリンセス駅伝ハプニング飯田怜感動映像。
プリンセス駅伝とは
「全日本実業団対抗女子駅伝競走大会」の予選会のことで、例年10月に福岡県の宗像市と福津市で開催され、愛称「プリンセス駅伝in宗像・福津」と呼ばれています。
福岡県の宗像市と福津市を舞台に6区間42.195Kmで開催されます。
この、プリンセス駅伝の上位14チームと前年の本戦上位8位までに入賞したチームが、11月に開催される「全日本実業団対抗女子駅伝競走大会」愛称「クイーンズin宮城」と呼ばれている実業団日本一決定戦に出場できます。
実業団女子駅伝の日本一を決めるクイーンズ駅伝への出場権を賭けた極めて重要な一戦となる予選会です。
飯田怜のアクシデント四つん這い走行
10月21日に開催されたプリンセス駅伝のアクシデントが、波紋を呼んでいます。
一つは
岩谷産業の第2区(3.6km)を走る飯田怜は入社1年目の19歳。
中継所まで約250mのところで転倒し、その後はタスキを左手に持ち、両手と両膝を使ってアスファルトの上を進み、いわゆる “四つん這い” の状態をして中継所に向かう姿。
もう一つは
三井住友海上の第3区(10.7km)先頭を走っていた、エース岡本春美は入社2年目の20歳が途中棄権。
◇岡本春美選手のアクシデントは
↓
岡本晴美・脱水症編
どちらも観ていられない程の痛々しい姿に、何か心にわだかまりが残り見るに耐えませんでした。
ここでは、岩谷産業の飯田怜選手を見ていきましょう。
岩谷産業の第2区(3.6km)を走る飯田怜
第1区走者が3位でゴールするも
第2区走者の飯田怜は、スタートラインにスタンバイしていなかった凡ミスをする。
22:48
約4秒遅れでかろうじて3位スタートとなる。
33:40
選手が縦状に並び、10位あたりまで順位を落としたあたりだろうか、中継画面の後方に、転倒した様子が映っていて中継所まで約250mのところで、突然姿が見えなくなった。
その後
34:47~34:51頃の4秒程の一瞬
立つことができなくなった飯田怜が、あきらめずタスキを左手に持って両手と両膝をついてアスファルトの上を“四つん這い” の状態で前を向き必死に進みだした姿が映り込みます。
hakata fukuoka
実況は
「どうしたのでしょうか?」
「岩谷産業がちょっとトラブルがあったようですが?」 と
何が起こったのかわからないようだ。
すでに第2中継所では続々と選手がなだれ込み、タスキ渡しの順位争いでヒートアップしている。
36:01
19位までを中継して、画面が飯田怜のアップに切り替わり、中継所まで約180メートルのところだ。
第2中継所のタスキ渡しの様子と、飯田怜の “四つん這い” 画面が交互に切り替るものの
実況は、飯田怜一色となった。
実況
「あと180メートル!
四つん這いになりながらなんとか
タスキをつなごうとしている!」
36:42
中継所まで約150メートル。
実況
「一歩一歩 まだ150メートールの距離が残っている!」
「中継所が見えている!
「ひざから出血している!」
「ここで途切れさせてはいけないという飯田怜!」
「まだ100メートル以上の距離が残っている!」
「苦しい、苦しい!3.6キロとなった!
さー!なんとかタスキをつなぐことができるのか!」
「さー!頑張れ飯田! 残りは100メートルちょっと!」
審判とみられる男性も
飯田のすぐ後ろをずっと付き添いながらも声を発していた。
審判
「あと70! 70(メートル)! 俺は行かせてやりたい!・・・本当!」
沿道では、どこからともなく
「ファイト!ファイト!」
「頑張れー!頑張れー!」と
声援の声や拍手の音が聞こえる。
実況
「思いはこのタスキをつなぐこと! 頑張れ飯田!」
「初出場岩谷産業ルーキー飯田怜!」
「残り50メートルとなりました!
「今田麻里絵が待っている!」
「さー!そのタスキつなげるまであと少しだ!
「思いをつなぐタスキをつなぐ!
そして全国の舞台に6人で行く!」
「3区の今田麻里絵はもう涙がとまりません!」
「さー!タスキをつなぐ!」
今田麻里絵も、涙を流しながら見守っていた。
39:52
実況
「つながったー!タスキがつながったーー!」
中継も3分程、最下位を映し続け、実況も興奮し沿道から上がる声援や悲鳴の中、はったままで最下位となった飯田怜は、第3区の走者、今田麻里絵へとタスキをつないだ。
飯田怜を審判が見守ってしまった
岩谷産業の陸上部が発足して2年目、初出場となった今回のプリンセス駅伝。
飯田選手を含む3人は高卒1年目で選手は7人しかいません。
初出場や選手層という側面からも、タスキをつなぐ思いは強かったのではないでしょうか。
今大会では監督者による伴走が認められておらず、岩谷産業の広瀬永和監督は監督控室で中継モニターを見ながら指揮を執っていました。
四つん這いで、はいつくばっているのを見て、大会主催者側に「レースをやめてくれ」と棄権の旨を伝えました。
コース上の役員に伝わるのに時間の遅れが生じますが、飯田選手がレース継続の意思を示したため、止められず再度、監督に確認しますが監督は棄権を要請しました。
その間に残り約15メートルのところまで進んでいたため、レースが続行されてしまいました。
主催者側から
「飯田選手が動いていた(危険な容態ではない)から見守ってしまった。」と説明を受けたといいいます。
飯田選手は
8月から故障してて、治ったばかりでしたが今大会で転倒し、両膝をすりむきながらタスキはつながりました。
結果
どのタイミングでかはわかりませんが、右脛骨(けいこつ)骨折で全治3~4ヶ月と診断されてしまいました。
飯田怜の賛否両論
レースそのものが成り立っていたのでしょうか?
「懸命な姿に感動した」
「涙がとらない」など、
確かに観ているに人によって頑張る姿は感動もし涙し、称賛する一方で
「なぜ周りは止めなかった」
「ドクターストップだ」
「早くリタイアさせるべきだった」
「素晴らしいって?美談なのか?」など
批判も上がっていて、身を削る姿を称賛すべきでないという人もいます。
賛否両論が巻き起こってしまいましたが、しかし、もし審判の一存で止めた場合でも批判や波紋は起きていただろうと思われる、難問なアクシデントだと思いましたが、この問題に正解はあるのでしょうか?・・・
日本陸上競技連盟 駅伝競走規準
競走規準の「助力」の項目に「競技者は競技中、いかなる助力も受けてはならない。」
と、記されており選手に触れたら失格(アウト)ということです。
ですから、ルールに基づき選手に触れたら失格という認識が強く働き、選手の後ろに寄り添っていた事が伺えます。
もう一つ気になる「助力」の項目が「正常な走行ができなくなった競技者を一時的に介護するために、競技者の体に触れるのは助力とはみなさない。」と記されています。
となれば
難しい判断の境目だと思いますが一時的に介護するのは出来たはずで、応急処置、手当などを受けてから競技の続行や棄権の判断をしてもよいのではないでしょうか。
また
競走規準の「走行」の項目の1つに「競技者が走行不能となった場合、即ち、歩いたり、立ち止まったり、倒れた状態になったときは、役員、チーム関係者等によって、道路の左端に移動させなければならない。
その後、続行させるかどうかは審判長、医師(医務員)の判断による。」と記されています。
広瀬永和監督は
「棄権を要請したにもかかわらず遺憾だ、大会運営の改善を願う」と申しておりますが、つまり、このルールがある限り、監督から要請があっても続行させるかどうかの最終判断は、審判長、医師(医務員)の判断によるものであり、監督の要請は一案に過ぎず選手の意志も認められないことになります。
最後に
飯田選手のアクシデントを執拗に追いかけた、テレビ放映の在り方や運営側の連絡体制不備、ルールや体制の再確認が迫られるところであり、アクシデントが発生した以上は改正、見直すべきものは確実にあるはずです。
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