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ぱいぱいでか美は鬱を乗り越えた!経歴や下品な芸名に両親迷惑!?有吉反省会

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こんにちは(こんばんは)!管理人の hiroro@ です。

今回ご紹介するのは仲井 優希(なかい ゆき)さんこと、芸名はぱいぱいでか美(ぱいぱいでかみ)さん。

「歌って踊れるバンド・ウーマン」とか「言うほどでかくないがそこそこでかい」などのキャチコピーで Fカップバストを売りに歌手、タレント、グラビア、ライブにDJなど多方面で活動を続けています。


出典:Instagramより引用

そんなぱいぱいでか美さんのインパクト大でそのまますぎる驚きの芸名や経歴、両親はその芸名をどう受け止めたのか有吉反省会のことなど探っていきたいと思います。

尚、新情報として2021年4月に事務所移籍したようです。

ぱいぱいでか美さんの経歴

ぱいぱいでか美(ぱいぱいでかみ)
本 名仲井 優希(なかい ゆき)
出身地三重県
生年月日1991年5月3日(29歳)
(2021年2月現在)
身 長158.5cm
カップF65
足サイズ23.5cm
血液型O型
職 業歌手、タレント、
DJ、司会など
好きなモノダメ男好き、AV大好き
好きな色桃色
最終学歴日本工学院八王子専門学校卒業

ぱいぱいでか美(ぱいぱいでかみ)さん一度聞いたら決して忘れない名前ですね。

ぱいぱいでか美さん新情報

※音が出ますので音量に注意して下さい
でか美さんの大切なお知らせ2021/04


出典:PAIPAIDEKAMIチャンネル

以下、「でか美」さんで書いていきたいと思います。

歌手になりたい
三重県のごく普通の一般家庭で育ち


出典:でか美さんコラム

父はサラリーマン、母はパートや習い事が好きな専業主婦で9歳上のお兄さんが一人います。

母親はバツイチでお兄さんとは異父兄妹になります。

でか美さん小学2年生の時、テレビで「宇多田ヒカル」さんを観て歌手になることを決意します。

父親の趣味はギターやベースなど、母親はママさんコーラスや大正琴の教室に通ったりしていてもともと両親も音楽が好きな家庭でした。

そして、「モーニング娘」の大ブーム到来ででか美さんはハロー!プロジェクト(ハロプロ)が大好きになりハマっていきます。

中学時代
少し性格が歪んでいたのかとんがっていた中学時代でしたが、指摘してくれる友人ができて丸い性格にり現在でも友情を築いています。

「やはり歌手になりたい」という思いから音楽系の高校に進もうと悩みますが両親になだめられ進学校に定めます。

小学校から塾にも通い勉強自体は好きでしたから成績は学年で1位になったこともあり志望であった進学校に合格しました。ちなみに中学2年からずっと好きだった人がいてその間、可愛い恋愛で彼氏がいたりもしましたが本命の好きだった人に半年に1回くらいは告白し、振られ続け卒業も近づいた頃最後の告白をしましたが振られました。

高校時代
でか美さん高校に入り中学校では優秀な成績でしたが最初のテストでは何と下から3番目で三重県でトップと言われる進学校の三重県立津高等学校ですから、成績優秀者が当たり前にたくさんいて「感動してしまう」という妙な性格は、でか美さんそのもの。

2年生のある時先輩が「ももち」こと「嗣永 桃子(つぐなが ももこ)」と「Berryz工房」が好きだという話を聞き名前は知っていましたが検索してみました。

「えっ! こんなに可愛い子が この世に存在したのか!」と衝撃的で、ひと目惚れしてしまい完全にハロプロとベリヲタ(Berryz工房のファン)にどっぷりつかるのでした。

実はその先輩のことが好きだったのですが(先輩はロリコンだったので、相手にしてもらえなかった)先輩よりも「Berryz工房」に夢中になってしまいました。

高校はアルバイト禁止でしたがお寿司屋さんで小遣いを稼ぎハロプロのコンサート、ハロプロショップ、ライブハウスへと行って過ごしていました。

3年生になると本格的な受験勉強を始めるのですが鬱病になってしまいます。

鬱病になってしまった理由は下記にて

バンド活動
歌手の夢を追い求め2010年、19歳の時に上京し音楽系の専門学校日本工学院八王子専門学校へ入学。ミュージックアーティスト科ボーカルコースにてボイトレや作詞作曲、ピアノなど理論的に学んでいきます。

同じキャンパス内にある東京工科大学のサークル「軽音部」に入部し先輩たちから誘われ「軽音部」とは別に「もんとs」というバンド活動を始め「キーボードボーカル・ぱいぱいでか美」と名付けられ「ぱいぱいでか美」の名が誕生します。

「ぱいぱいでか美」誕生は下記にて

びっくりするほどお客さんを呼べないライブ活動を重ねる日々。あげくに学校の出席日数が足りなくて卒業危機、補習して反省文を提出し、卒業。

大学の先輩たちもみんな2歳上だったので同じタイミングで卒業。


出典:でか美さんコラム

「絶対このバンドで売れてやる!」と気合いも十分だったもののパチンコにハマってしまったメンバー、就職の理由で脱退したいと言い出したメンバーなどによって2012年12月12日ライブハウス・下北沢ERAで最後のライブを行いバンドは解散。

でか美さん曰く解散理由のひとつには暴君なところが自身にあったと漏らしています。

ソロ活動
でか美さんその後ソロでやって行こうと決意し解散3日後の12月15日に弾き語りできるほどキーボード弾けないのにソロライブで弾き語りを披露。

弾きながら歌ってみたら「自分には向いていない」事を痛感し「じゃあ踊ろう」って踊りに転向していきます。

「アイドル」と自称するのはおこがましいと「歌って踊れるバンドウーマン・ぱいぱいでか美」というキャッチコピーでソロで活動。

ソロ活動当初は物販に置くものがなくて、プリクラと、お客さんにプロフィール帳を配るという
安上がりな謎めいた物販行為をしていました。


出典:でか美コラム

ライヴハウスでバンドに混ざりながらアイドルのように歌い踊りかと思えばDJやテキーラ・ガール、司会など、その活動は実にさまざまで「異質な存在」として界隈で話題になっていきます。

大森靖子との出会い
でか美さんのTwitterのプロフィールに「嗣永桃子が好きです」と書いてあったのを見た超歌手を名乗るシンガーソングライターの大森 靖子(おおもり せいこ)さんの方から「ハロプロ好きなら悪い人じゃない」とフォローされたことがきっかけで、でか美さんが大森靖子さんのライブに直接足を運び親交を深めていきます。

共通点はもちろん「ハロプロヲタク!」

大森 靖子さん経由でディスクユニオン(インディーズ系最大手CDショップ)から連絡が来て「名前おもしろすぎる! 最高!というわけで、うちからアルバムを出しませんか?」とオファー。

でか美さんにとってまたとないチャンスですから乗るしかないですね。

豪華すぎる作家陣が参集し
どついたるねんファミリーの
吉岡トムが総合プロデュース!

マイネームイズうがい(どついたるねん)、
澤部渡(スカート)、
植野隆司(テニスコーツ)、
三輪二郎、
宮崎貴士(図書館/グレンスミス)
佐藤優介(カメラ=万年筆)、
牧野琢磨(NRQ)、
藤井洋平、
三沢洋紀+大島輝之さんたちによる
楽曲書き下ろし。

また、
川本真琴もデビュー前に活動していた
Lupino時代の伝説の名曲
『少年』(未発表)を提供。

ワトソン(どついたるねん)
ほりぼう(女優)もゲスト参加。

そんな制作を進めていた頃、大森 靖子さんから連絡があり「あのアルバムお金にはあんまりならんやろ? 私とお金になるCD作ろ!」と連絡があり(豪華すぎる作家陣などがあれだけの人数で参集したら儲かりませね。)

2014年5月31日大森靖子(おおもり せいこ)さんのプロデュースでファーストシングル「PAINPU」を発表しジャケットが自身のヌード写真だったことで話題を集めました。

そして6月25日に豪華すぎる作家陣が大参集したデビューアルバム「レッツドリーム小学校」を発売し発売を記念して制作された「タワーレコードポスター」は「路上セクシー衣装」で大話題となり


提供:でか美さんTwitter

収益になったかどうかはわかりませんが知名度はかなり上がっていきました。

有吉反省会
でか美さん「レッツドリーム小学校」をソフマップでリリースイベントを開催中に『ぱいぱいでか美さんに代わってください!って日テレの「有吉反省会」の人から電話がかかって来てますよ。』とお店にかかってきた突然の電話。

当時は事務所に入らずというか受け入れてくれる所がなくフリーランスだったので連絡先が分からず
でか美さんのSNSからイベント情報を知りソフマップのお店に電話があったようです。

後日半信半疑ながら日本テレビに向かい収録が現実となりました。

8月10日、オンエア日で日本テレビの『有吉反省会』で「芸名が下品すぎるアイドル」として登場し
地上波テレビ・デビューを果たしました。

有吉反省の話は下記にて

事務所決定から現在へ
その後個人では「事務作業が辛い」と会う人会う人全員に話まくった結果、パーフェクトミュージックから声がかかり所属事務所が決まりました。事務所との契約日は8月8日“ぱいぱいの日”です。

でか美さん、当時24歳の2015年12月31日紅白歌合戦に出場、「ゲスの極み乙女」のギターコーラスとして参加しNHK側から「NHK的にギリギリのワードがあった」と釘を差されながらもチラリと映っていました。

2017年8月女性アイドルユニットAPOKALIPPPS(アポカリップス)のメンバーとして活動。

などなど

※音が出ますので音量に注意して下さい
吉川 友・ぱいぱいでか美の
最高のオンナ MUSIC VIDEO


提供:youkikkawaチャンネル

執筆活動や作詞も作曲もするし、歌うし、踊るし、グラビアもするし、なんでもするようです。

ぱいぱいでか美さんは鬱を乗り越えた!

でか美さんこと仲井 優希(なかい ゆき)さん高校3年生の時鬱病になってしまいます。

まわりは
「東京大学に行きたい」
「京都大学に行きたい」
「医者になりたい」
「研究をしたい」と
本格的な受験勉強を始める中、仲井 優希さんは「専門学校」という、みんなと違う進路に対し「みんなの受験勉強を邪魔をしたくない」と屈折した考え、気持ちを持つようになり眠れなくなったり、塞ぎ込込むようになってしまいました。

メンタルクリニックに行った結果「鬱病」と診断、薬を処方されて自身の中ではショッキングな事でした。

夏になり志望校のAO入試に臨み仲井 優希さんの受験は終わりますがみんなは、まだまだ受験勉強真最中で後ろめたさを感じて「自分はいない方がいい」と心は蝕まれていきました。

学校側や友人の助力によって「病気だから」と受け止め深く考えすぎないようにして症状や薬ともうまく付き合えるようになり薬の数も減っていきました。

高校を卒業し心の病にうまく向き合えたハズでしたが専門学校でも鬱がぶり返し先輩と4年くらい付き合いの中で恋愛に依存してしまい薬に頼る生活、すごいやきもち焼きでブチ切れも半端なく彼ともめて警察を呼ばれたとか、自分の部屋のカーペットを燃やしたとか本当に辛かったようでいろいろありましたがまわりのみんなのお陰でなんとかかんとか持ち直していきました。

でか美さん曰く「鬱を経験したからすべてがわかるわけではないけど同じように悩む方に今、私が元気にしてる姿を見て希望を持ってもらえたら嬉しいです。少しでも寄り添えるような活動ができたらいいなと思います。」と・・・

ぱいぱいでか美さんの下品な?芸名

でか美さん下品な芸名と言われる事は承知ですがその芸名が気に入ってしまうのです。


出典:Instagram

小学校2年~3年生の頃ドンドン太っていって太ってるんだという自覚のない肥満児でした。

ある日「これを着けなさい」と母親から渡されたスポブラ。

それで太ってると気付き好きではない牛乳をたっぷり飲んで運動して身長を伸ばすことにしましたが
痩せたものの筋肉と大きな胸だけが残り他の女子よりかなり胸が大きく「私のおっぱいデケー」って
かなりショックを受けた思春期前の事。

以来、ずーっとコンプレックスで中1でDカップ、高校でFカップの大きな胸。

専門学校に入学し同じ敷地内にある大学の軽音部に入部したある日、気軽に呼んでもらえる愛称が欲しいと当時流行していた「mixi」に「私もあだ名欲しいなー!」と、呟きすると軽音部の部長から「ぱいぱいでか美」とコメントが届きました。

「ぱいぱいでか美」

「えっ!何ていい名前なんだ」と感動してしまい声に出して言いたくなるほど収まりの良い文字面に
違和感もなく気に入ってしまいました。(いい名前と思える感覚が不思議ですが・・・)

昔から顔が可愛くないという自覚と胸が大きいことが嫌で嫌でコンプレックスを抱えていたのに「ぱいぱいでか美」という名の響きがコンプレックスから一瞬にして「持ち味」に変わった瞬間でした。

そして胸が大きいことがチャームポイントと思えてしまったのです。

それからというもの、いつもは胸が目立たないようなダボダボの服を着ていましたがボディラインがわかるような服を着こなすようになりました。

と言うことで、仲井 優希(なかい ゆき)さんは「ぱいぱいでか美」として活動する事になったのです。

普通なら明らかにセクハラ的で「そんな名前嫌だーーー」って思うのでは・・・

ぱいぱいでか美さんの芸名に両親迷惑!?

でか美さん上京の時、両親が車で何時間もかけて送ってくれました。初めてのひとり暮らしをする
レオパレスで「とりあえず30歳までは好きにしてみな。30過ぎてアカンかったら、諦めて三重県で就職しなさい」と伝えて両親は三重県へ帰っていきました。

両親のこの言葉に「自分は絶対に成功するぞ!」と両親の為にも誓ったときでした。

「ぱいぱいでか美」として活動するバンドが地元の三重県でライブをすることになり実家では両親が
お酒やご馳走を用意して迎え入れてくれました。

悩んでいたのは「ぱいぱいでか美」という芸名を両親に伝えていなかったのでビックリするのではないかという事です。

時を見計らい『私の芸名「ぱいぱいでか美」って言うんやけど』と打ち明けると母親は『ヤバ!めっちゃ面白いやん。覚えやすいなぁ!』

父親は『俺はネットで見て知っとったぞ!変な名前や~わろてまうわ』確かに、らしからぬ芸名ですが両親は温かく応援してくれました。

母親は「はぱいぱいでか美」の親だっていうことを主婦仲間に話まくっています。

父親は会社のデスクに「はぱいぱいでか美」さんの写真を飾り、部下の中にファンがいることを知って嬉しそうにしています。

「なんでそんな名前にしたの!」なんて言うのが大方でしょうけど仲井家の器の大きさは親子揃って
一つも二つも違うようですね。

そんな両親に恵まれ最高の娘でいられるようにとでか美さんは頑張っています。

ぱいぱいでか美さんと有吉反省会

でか美さん2014年バラエティ番組『有吉反省会』に初出演し、2015年4月からはキワモノとして
同番組のレギュラーとして「いつもいる反省人」枠として出演しました。

2014年8月10日仲井 優希として「芸名が下品すぎるアイドル」というテロップが流れるなか登場しました。

「わたくし、本名、仲井 優希(なかい ゆき)は新人アイドルとして世間の注目を集めたいがために
アイドル史上最も下品な芸名をつけてしまったことを反省しに参りました」と告白。

有吉さん「バカか!」と痛快なツッコミを入れられ「事務所のスタッフとかはどんな反応なの?」と聞かれ、でか美さんすかさず「事務所入ってなくて、無所属なんですよ」

有吉さん「えー! すごいね!! よくココに辿り着いたね(笑)」

と、番組は続き
「本当は根暗で真面目な性格」
「下ネタは得意じゃない」
「この芸名が気に入ってる」などと発言し
芸名とは裏腹に真面目で常識人であることをアピールし、ついに地上波テレビ・デビューを果たし反響は大きくSNSのフォロワー数は急激に伸び徐々に「ぱいぱいでか美」の名が浮上し始め地上波の影響はすごいです。

的確なコメント力の才能を発揮し有吉弘行さんやマツコ・デラックスさんなど大物タレントさんに
超大穴的な存在として高く評価されるようになっていきます。

ぱいぱいでか美さんのまとめ

仲井 優希(なかい ゆき)こと、ぱいぱいでか美さんの経歴や鬱と向き合い専門学校のバンドで芸名が付いたことやハロプロヲタクで「大森 靖子さん」と繋がりシングルやアルバムをリリースできたり
「有吉反省会」に出演し地上波テレビ・デビューを果たした事、下品な芸名に両親はどういう思いだったなど書いてきました。


出典:Instagram

ぱいぱいでか美と文字を見たり耳にすればほとんどの人に「名前を覚えてもらえる」大きなメリットがあるものの今後一路順風の活躍が期待されているだけにテレビで活動するうえで売れれば売れるほどゴールデンタイムでの活躍はリスクが伴うな芸名とならないだろうか?・・・

正に批判も多い中ハイリスクハイリターンな芸名だけに本人は良くとも、今の世間では気軽には口にできないところがもどかしい・・・

垢抜けなさがすごく感じ、飾らない姿に応援したくなる気持ちが湧き上がる、そんな「ぱいぱいでか美」さんの明るい未来の到来を祈り今後の活躍に期待しています。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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