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羽生結弦の挑戦「4回転アクセルは5回転の練習で成功」王様のジャンプフィギアスケート人生

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羽生結弦が君臨しているフィギュアスケート界は、ここ数年で4回転ジャンプを女子選手までもが複数回跳ぶ時代に突入しました。

羽生結弦選手の前人未到の王様のジャンプ4回転アクセルは5回転の練習の挑戦によって成功しています。

羽生ゆづるの挑戦はどこまで続くのか、羽生結弦のフィギアスケート人生です。

羽生結弦の挑戦

羽生結弦(はにゅう ゆづる)くんは仙台で4歳からスケートを始めました。

羽生結弦くんの幼少期は山田真実さんに指導してもらい、幼稚園年長の頃にシングルアクセル(1回転半)を跳ばせたところ、転倒したものの1回で成功したことに山田真実コーチも驚き、羽生ゆづるの才能を見抜きました。

羽生結弦のアクセルジャンプの挑戦は、ここから歴史が始まります。

羽生結弦くんが小学2年の時、山田真実コーチは家庭の事情により故郷の北海道に帰ることになったため、都築章一郎コーチに羽生結弦を託しました。

羽生結弦くんが都築章一郎コーチから「全6種類の4回転ができるようになろう」「世界に羽ばたくスケーターになろう」「アクセルは王様のジャンプだよ」と言われ、アクセルが得意な選手となることと4回転アクセルを目標に挑戦の日々が数十年と続いて行くことになります。


朝日新聞社

羽生結弦選手は男子66年ぶりの五輪連覇を達成した平昌大会翌日の会見で「次は4回転アクセルの成功」を公言しました。

できることを積み重ねて、並々ならぬ努力を繰り返し徹底的に挑戦し進化していきました。

羽生結弦「4回転アクセルは5回転の練習で成功」

皆さんご存じとは思いますがフィギュアスケートジャンプにおいて、アクセルは他のジャンプとは異なり、前向きに踏み切り後ろ向きに着氷しなければなりません。

前向きに踏み切り後ろ向きに着氷ということは、自ずと半回転がプラスされ4回転アクセルと言っても、実際は4回転半を跳ぶことになります。

前向きの踏み切りによる回転させることの難しさに加え、半回転多く回る必要があるため、ケガや採点システムなどのリスクを考えると誰も挑戦する選手がいませんし、やる必要のある4回転半でもありません。

しかし、羽生結弦選手は果敢に4回転アクセルに挑戦し続けています。アクセルは「華」なんですね。真央ちゃんもそうでしたから。

4回転半を跳ぶためには回転数を上げる必要があるため、5回転ジャンプの練習を始め、誰もわからない領域の体感を得て4回転アクセルの完成を目指しました。

ハーネス着用で5回転に挑戦中

オリンピック競技大会

羽生結弦選手(24才の時)はハーネスを着用して5回転サルコーとトーループを成功させ4回転アクセルも出来ているようです。

羽生結弦くんは「アクセルは王様のジャンプ」と幼いときに都築章一郎コーチから刻まれた4回転アクセルを「自分だけのジャンプじゃない、みんなの夢だから、使命だから」とケガにも見舞われながら、習得に挑みこだわり続けました。

実は、2018年GPロシア杯でアルトゥール・ドミトリエフ(ロシア)がフリーで4回転アクセルに挑戦しましたが、転倒してダウングレード(回転の不足分が1/2回転以上)となっています。

そして2022年12月24日、北京五輪代表選考会の全日本選手権で羽生結弦選手はフィギュアスケート史上初「クワッドアクセル(4回転半)」の成功者になるべく挑みましたが、両足で着氷し回転が足りずに「ダウングレード」と判定されました。

羽生結弦選手はこの全日本選手権で北京オリンピックの代表に決定しました。

羽生結弦選手は王様のジャンプこと前人未到の4回転アクセルが出来る最も近い選手として待望されるようになり、北京2022冬季オリンピックで4回転アクセルに挑戦しました。

「出るからには勝つ」「4回転半を綺麗に決める」と9歳の想いを胸に、挑戦を貫き通しプライドを持って臨んだ北京での4回転アクセル。


河北新報

結果は転倒して大幅減点となりましたが、国際スケート連盟(ISU)公認大会で初めて4回転アクセルとして認定され、リザルトに初めて「4A」が刻まれました。

メダルならずも美学貫く


毎日新聞

ユーチューブコメント

羽生の演技には心から感動した。
なぜこうも感動するのか。
昨日からテレビのワイドショーではどこでも鍵山の銀、宇野の銅とともに羽生の挑戦を大きく取り上げている。
その中で、長嶋一茂のコメント「素晴らしいロマンの世界だった」が、心に強く残った。
一茂の感性の鋭さに感心したが、今日はスポーツジャーナリストの二宮清純氏の「彼は勝敗を越えた別次元を生きている。」とのコメントに強く同感した。
そうだ、羽生はすでにこの地球の価値感の中にはいない。
もっと高次元の世界の中に生きている。
追及するものがより高みを目指した技術であったり美であったりする。
その創造的世界が私たちの魂を揺さぶるのだ。
彼は素晴らしい日本の宝だ。

 

スポーツ科学を研究する桜井智野風(とものぶ)教授の話では
「羽生選手の4回転アクセルは、走り幅跳びの世界記録と同じ角度で跳び上がっている。完成していると思います。」とおっしゃっています。

つまり4回転半ジャンプは回転数が多いため、長い滞空時間が必要で、高くよりは、長く跳んで回転数、回転時間を確保しなければなりません。

同じように走り幅跳びも高くよりは、長く跳んで飛距離を出すわけですが、同じ角度で跳び上がっているということで、羽生結弦くんの頭や体で何度も繰り返し分析した最高の角度で踏み切るジャンプが習得できていることがわかります。

羽生結弦くん本人が「4回転アクセル」の難しさを今まで何度も話しています。

「走り幅跳びの状態で、回転をつけながら跳んでいく感じ」など語っていますので、桜井智野風教授が分析した「走り幅跳び」の言葉が出てくるのは、さすが羽生結弦くん早稲田大学人間科学部卒業ですね。

トリプルアクセル(3回転半ジャンプ)が出来るからクワッドアクセル(4回転半ジャンプ)が出来るということではなく、トリプルアクセルの延長線上にクワッドアクセルは存在しない、軸も違う全くの別物の4回転半ジャンプであって、羽生結弦くんだけが長年挑戦してきた4回転アクセルです。

アメリカの元フィギュアスケートのティモシー・ゲーブル選手が「誰かが4回転アクセルの前に5回転を飛ぶだろう」と言っていましたが、予想を超えて4回転アクセルが先になり、それだけ4回転アクセルが至難の業であることが伺えます。

羽生結弦 選手の魂の演技を見て考えた


茂木健一郎のもぎけんチャンネル

羽生結弦は負けず嫌い、完璧な演技をしないと納得しない性格で「ノーミス以外は敗北」という羽生結弦にとっては、4回転アクセルは認定されたものの、成功したとは思っていないので今後の動向が気になるところです。

羽生結弦は5回転に挑戦するのか

フィギュアスケートのアクセルは1882年、ノルウェーのフィギュアスケート選手「アクセル・パウルゼン」が初めて1回転半のジャンプを披露したとされ、名前の由来になっています。

2回転半(ダブルアクセル)
1948年サンモリッツオリンピックでディック・バトン(米国)

3回転半(トリプルアクセル)
1978年世界選手権でバーン・テイラー(カナダ)

4回転半(クワッドアクセル)
2022年北京オリンピックで羽生結弦

フィギュアスケートは常に進化しており、力学、解剖学、生理・生体学など様々な面から考察した結果、5回転ジャンプが可能だと言われています。中には無理だと言う人もいますが・・・

着地の負担は相当あるようで鍛えなけれなりませんが、スケート靴が重いという問題や、そして回転速度をさらに上げる必要があるわけですが、重い手袋で回転速度を上げることも考えられていて、すでに「5回転ジャンプ」に挑戦している選手はいるようです。

そもそもフィギュアスケートというのは「図形(figure)を描く競技」として生まれたもので、羽生結弦くんも言ってましたが、フィギュアスケートがジャンプ大会になってしまうことを懸念していました。

しかし、選手全員が4回転ジャンプをするとなると、5回転の実現は時間の問題となってくるのではないでしょうか。

羽生結弦くんが66年ぶりの五輪2連覇を果たした23歳の時の記者会見がありました。(約1時間の長い記者会見です)

THE PAGE

約1時間の長い記者会見の中から「ジャンプについて」羽生結弦くんが悩みながらわかりやすく説明している言葉をひろいました。

記者
「クワッドアクセル(4回転半ジャンプ)の難しさについて、誰でもわかるように説明してほしい」
と言われ、羽生結弦くん言葉での説明にかなり悩んでいました。

羽生
「ええ?、?はじめてこういう質問が来ました」と悩む表情を見せます。
羽生
「目をつぶって回転しながら三重跳びをやっているような感じです。縄跳びの」
と語りましたが、直後にうなだれて頭を机につけてしまいました。

言葉での説明が難しいようで、顔をあげては
羽生
「…ダメだ…」とつぶやきながら余程、説明が難しいようです。
羽生
「4回転半は、2回転しながら4重飛びをする感じ」
羽生
「5回転は、3回転しながら5重飛びをするような感じです」
と、縄跳びを例えにして4回転アクセル、そして5回転の難しさを説明していました。

羽生結弦くんは、ライバルが4回転を練習中、既に5回転の構想があったことには、驚きでした。

ジャンプ大会と懸念していた羽生結弦くんでさえ「さらに上を目指すとなれば、5回転じゃないですか」と言っています。

最近では、国際スケート連盟(ISU)も既に条件付きで、5回転ジャンプの基礎点について検討していますから、5回転の時代がやってきそうです。

羽生結弦の王様のジャンプフィギアスケート人生

羽生結弦プロフィール

羽 生 結 弦
名 前羽生結弦(はにゅうゆづる)
生年月日1994年12月7日(27歳:2022年時)
出身地宮城県仙台市泉区
身 長172 cm
体 重57 kg
血液型B型
学 歴仙台市立七北田小学校
仙台市立七北田中学校
東北高等学校
早稲田大学人間科学部卒業
所 属全日本空輸 ANA

2018年7月2日 個人史上最年少で国民栄誉賞(23歳)

羽生選手の結弦(ゆづる)と名付けた父親は「弓のように結ばれた弦のように凛とした生き方をして欲しい」という思いを込め命名しました。

コナミスポーツクラブ泉のリンク(現・アイスリンク仙台)で、1999年に佐野稔さんが開催した子供スケート教室に4歳上の姉「さや」さんが通い始め、羽生結弦くんも4歳でスケートを始めました。

佐野稔さんと羽生くん

佐野稔さんTwitter

佐野稔さんは元フィギュアスケート選手で3回転ルッツを武器に1970年代活躍した選手で、都築章一郎さんがコーチでした。

リンク上でバックフリップ(後方宙返り)をする選手でも有名ですが、試合では危険な技として禁止されています。

羽生結弦は2歳の頃から喘息の持病があり、スケートを始めた理由のひとつとして喘息を克服する目的がありました。

4歳の羽生結弦くんは山田真実コーチに導かれ、幼稚園年長の頃シングルアクセル(1回転半)に初トライで回り切り、羽生結弦のアクセルジャンプの歴史は、こうして始まりました。

北日本大会3位に入った山田真実コーチと羽生結弦

お姉さんと

報知新聞社

山田真実コーチは家庭の事情で故郷の北海道に戻ることになり、都築章一郎(つづきしょういちろう)コーチに羽生を託しました。

都築章一郎コーチ

報知新聞社

羽生結弦くんにアクセルを跳ばせ才能を見抜いた山田真実コーチ、そして「アクセルは王様のジャンプ」とアクセルジャンプを叩き込んだ都築章一郎コーチとの出会いがなければ、羽生結弦はフィギアスケート界にいませんでした。

小学生のころの羽生結弦は「野球をやりたい」と思った時期もあったようですが、負けず嫌いな性格が功を奏してかフィギアスケートに挑戦し続け、今では世界の羽生結弦となって君臨しています。

持病の喘息も完治しているわけでなく、対策を続け現在も喘息と向き合いながら練習や競技に励んでいます。
羽生結弦選手のフィギアスケートの輝かしい活躍ぶりは多過ぎますので、申し訳ありませんが「Wiki」でご確認願います。

 

羽生結弦選手の試合前に聞くという「勝負曲」は、ONE OK ROCK(ワンオクロック)の「完全感覚reamer」「キミシダイ列車」や和田光司の「風」など前向きな楽曲でモチベーションを上げているようです。

2021年の全日本「僕のこと」を熱唱してます。
僕と君とでは何が違う?

Mrs. GREEN APPLE – 僕のこと


MAD作成 kanakoloさん

羽生結弦が4回転アクセルにこだわったことによって「普通に4回転してれば、羽生結弦は勝てたんじゃないの!」「国民の代表として身勝手・・・」「オリンピックに出られなかった人の気持ちはどうなの」など意見もありました。

実際に、ジャンプを成功させた出来映え点に注目され、芸術面が採点にあまり反映されなくなりました。

勿論、4回転アクセルや5回転を1本跳んで勝てるものではありません。

そんなことは羽生結弦は承知の上で、4回転アクセルを決めて技術と芸術の融合にこだわり勝ちに行く、最後まで夢に挑み続けるのが羽生結弦であって、積み重ね築いてきたものが違うのです。

スケートや体操でも見られる光景ですが、ショートで良い点数が出れば、フリーでは難易度を落として勝ちに行くというのは当然あることで、過去のメダリストもそうしてきました。

しかし、羽生結弦のオリンピックはソチでも平壌でもショートでトップの成績で「金メダル確実」にもかかわらず、フリーのプログラムは変更無しで金メダルを獲得しています。

今回の北京でも普通に無難にまとめればメダルは獲れたと思いますが、難易度を落とさず果敢に挑戦した羽生結弦の姿を皆さんはどう思いますか・・・

天を仰ぐ羽生結弦選手

Nikkan Sports

この北京オリンピックフリーの最後に、羽生結弦選手は6秒間天を仰ぎました。

羽生結弦選手が9歳の時に滑っていた「ロシアより愛を込めて」のプログラムの最後と同じポーズをして、昔の自分と重ね合わせ前人未到のクワッドアクセル(4回転半)に挑み「出し切った」「やり切った」と「今はこれが精一杯」と9歳のころの自分に語り掛けたのかもしれません。


羽生結弦の挑戦、フィギアスケート人生はまだまだ終わらない!

羽生結弦の挑戦「最高のアクセルができた」

個別での取材申請がらくさんあり、個別に対応することが困難であるため異例の「記者会見形式」で羽生結弦の会見がインメディアセンターの会見場で実施され、あくまでも羽生ゆづる選手からの発表会ではありません。

北京オリンピック後の記者会見(2月14日:約30分)


テレビ東京スポーツ

会見を抜粋した羽生結弦の言葉

羽生結弦の挑戦とは!

きっと、別に僕だけが特別だとは何も思っていなくて、別に王者だったからとかではなく、みんな生活の中で何かしら挑戦しているんだと思います。
それが大きい事だったり、目に見える事だったり、報道される事だったり。
それだけの違いだと僕は思っていてそれが生きるという事だと、僕は思いますし守ることだって挑戦なんだと思うんですよね。
だって、守ることって難しいなと思いますし大変なんですよ。
守るって。
だって、家族を守る事だって大変だと思いますし何かしらの犠牲だったり時間が必要だったりもしますし、だから何ひとつ挑戦じゃないことなんて存在していないんじゃないかな・・・。
それが僕にとって、4A(4回転半ジャンプ)だったり、オリンピックというものにつながっていたり、ただ、それだけだったかなと・・・。
だから、僕も挑戦をすごく大事にしてここまで来ましたけど、皆さんも何かちょっとでもいいから「自分」に挑戦していたんだなとか、それって羽生結弦はこんなに褒めてもらえているけど実は、褒められることなのかなって、自分の事を認められるきっかけになっていたらうれしいなと僕は思います。

 

4回転アクセル

正直な話、今まで4A(4回転半ジャンプ)を跳びたいってずっと言ってきて目指してた理由は、僕の心の中にいる9歳の自分がいて、あいつが跳べってずっと言っていたんですよ。
ずっと、お前下手くそだなって言われながら練習していて、でも、今回のアクセルはなんか褒めてもらえたんですよね。
一緒に跳んだっていうか。気づいて下さらない方も、まぁほとんど気づかないと思うんですけど、実は同じフォームなんですよ、9歳の時と。
ちょっと大きくなっただけで。だから一緒に跳んだんですよね。
なんかそれが自分らしいなって思ったし、何より4Aをずっと探していく時に最終的に技術的にたどりついたのが、あの時のアクセルだったんですね。
なんか、ずっと壁をのぼりたいと思っていたんですけど、色々な方々に手を差し伸べてもらって、色々なきっかけを作ってもらって、のぼって来れたと思っているんですけど、最後に壁の上で手を伸ばしていたのは9歳の俺自身だったなと思って・・・。
最後にそいつの手を取って一緒にのぼったなっていう感触があって・・・。
そういう意味では、羽生結弦のアクセルとしてはやっぱりこれだったんだって納得できているんですよね。
あれがアンダーだったとしても転倒だったとしても、やっぱ、いつか見返した時に羽生結弦のアクセルって、軸細くてジャンプ高くてやっぱきれいだねって思える誇れるアクセルだったと思っています。

 

誇り

僕はやっぱりオリンピック王者だし、2連覇した人間だし、それは誇りを持ってこれからもフィギュアスケートで2連覇した人間として胸を張って後ろ指をさされないように、自分自身が明日の自分が今日見た時に、胸を張っていられるように、これからも過ごしていきたいなと思っています。

 

本来なら、完全に棄権していたというほど、捻挫の状態が悪く注射を打ってまで立ち上がって挑戦し北京オリンピックに出場した羽生結弦でした。

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