人物

夏井いつき組長!?加根光夫が支える波乱万丈な俳句人生

人物

夏井いつきさんは

日本の俳人・エッセイストで

人気テレビ番組の「プレバト!!」では

芸能人が苦労して詠んだ俳句をバッサリと痛快に添削し

毒舌で査定していく様子は爽快で

夏井先生が少し手を加えるだけで、

駄句、凡句が秀句に劇変する様子は、感心させられ

“毒舌先生”として一躍人気者になりましたが

以前は1999年から

NHK教育テレビ「天才てれびくんワイド」の

俳句コーナー担当で2年間出演しています。

本を出版すれば

俳句界では異例のベストセラーとなり

俳句の楽しさを伝える活動を全国に展開中です。

夏井いつき

毒舌と言われてますが

大変、おやさしい先生で、

様々なご苦労を経験された方でもあります。

プロフィール

本  名 : 加根伊月(かね いつき)

旧  姓 : 家藤(いえふじ)伊月

俳  名 :夏井いつき

出  身 : 愛媛県南宇和郡内海村(現在の愛南町)

現 住 所 :愛媛県松山市

生年月日 : 1957年(昭和32年)5月13日生まれ

京都女子大学文学部国文科を卒業後

1980年(昭和55年)

国語科教諭として松山市立余土中学校へ赴任

1982年(昭和57年)

愛南町立御荘中学校へ転任

1988年(昭和63年)

教員生活にピリオドを打ち、プロの俳人を目指す

2017年(平成19年)4月より

帝塚山学院大学リベラル・アーツ学部客員教授

受賞歴

1988年(昭和63年)

国民文化祭教育長賞を受賞

1994年(平成6年)

新人の登竜門の一つ、第八回「俳壇賞」を受賞

1999年(平成11年)

黒田杏子主宰「藍生」俳句会結社賞、第四回「藍生」賞を受賞

2000年(平成12年)

第五回新田俳句大賞受賞

2005年(平成17年)

NHK四国ふれあい文化賞受賞

など

諸活動

1997年(平成9年)

俳句集団「いつき組」を組織すると共に、「組長」へ就任し

全国の小中学、高校生を対象としたカリキュラムの一環として、

「句会ライブ」という俳句教室を開催。

1998年(平成10年)

「俳句甲子園」は高校生を対象にした俳句コンクール。

夏井先生が立ち上げ、苦労して運営してきたイベントで

愛媛県松山市で毎年8月に開催。

2013年(平成25年)

「プレバト!!」(毎日放送・TBS系列全国ネット)内の

企画「才能査定ランキング」で、俳句部門の査定を担当。

「俳句ポスト365」という

松山市が運営する俳句投稿サイトの選者で

地方自治体が俳句サイトを運営するというのは、

日本でも始めてのことだそうです。

2014年(平成26年)

俳人としての活動の窓口として

「株式会社夏井&カンパニー」を設立。

2015年(平成27年)

「俳都松山宣言」を全国に発信する俳都松山大使に就任。

「100年俳句計画」を提唱しています。

2016年(平成28年)4月

「NHK俳句」2016年度・2017年度の第三週選者。

など、テレビ、ラジオ出演、著書多数。

夏井いつきの歩み

夏井先生の現在の住まいは、

近代俳句の大成者「正岡子規」と

その弟子「高浜虚子」の故郷である四国松山です。

名前の由来

生まれは、愛媛県ですが

高知県に近い県境の愛南(あいなん)町で

明治時代から特定郵便局を開設していた生家では

祖父母と両親と妹の家族でした。

郵便局長を務めていた祖父は

近所の子どもへの命名を託される程の名士だったので

夏井先生の命名は

「伊予のお月様のようにきれいな女の子であるように」と

「伊月(いつき)」と、祖父から名付けられたわけですが

実は

祖父が囲っていた芸者の名前が「伊月」だったようですね。

幼少から大学

子どものころ

郵便局が終わると、毎日のように父親と釣りに行き

中学はバレーボール部で運動で汗を流し

高校はバスで2時間かかったため

お弁当を2つ持って行って

教室に着いてから1つ目のお弁当(朝食)を食べていたので

クラスメイトからは

昼食まで待ちきれずの「早弁」だど思われていたようです。

大学では

古典が好きだったため国文学部に進み

京都で4年間暮らしました。

大学4年の就職時期

取り敢えず教職免許の単位でもと思い、

中学校に教育実習に行って、国語を教える事に魅力を感じ

慌てて教員採用試験を必死に勉強しました。

俳句との出会い

採用試験に合格し、国語教師になりたての頃

最初に与えられた仕事が「懇親会」の幹事でした。

懇親会の座席を決める際に、

自作の俳句を書いた紙を会場のテーブルへ置くことによって

出席者の座席を決めていたのが

「俳句」との出会いとなるきっかけで

俳句に興味を持つようになり

唯一の趣味として独学で俳句の勉強をしていたようです。

ある時

雑誌の黒田杏子(くろだ ももこ)の俳句に衝撃を受け

真剣に俳句に取り組んだ時でもあります。

結婚

そのような中

国語教師だった25歳の時

教師仲間である一歳年上の夏井教師と結婚し

1男1女の2人の子どもを授かり

家族4人で幸せに暮らしていました。

俳人への決意

30歳の頃

離れて暮らしていた夫の父親が他界し

そのショックで

夫の母親が体調を崩し老人性うつになってしまい

家族4人は夫の実家に引っ越しますが

夏井先生は

学校では役職がつき仕事と家庭の両立が難しく

介護する必要に迫られたことから、

「これから俳人になる」と

当時の教え子に約束を残し、やむなく教職を辞しました。

離婚

姑の世話をしながら

黒田杏子に師事して学び

俳人としての活動を本格的に開始しました。

活動を始めてから10年後の40歳の時

一人暮らしだった実母が

脳腫瘍を発症し後遺症も残って引き取ったものの

姑と実母はどうしても気が合わず

夏井先生自身も

姑と実母の介護に疲れ果ててしまいます。

夫もまた疲弊して、うつ状態になり

夫婦間にも亀裂が入り家庭環境も乱れ

長女も不登校になってしまいました。

ひとまず実母をアパートに移し

家とアパートを行き来する生活でしたが

3年後の43歳の時

「2人の実子を引き取る」という条件で離婚を余儀なくされます。

苦しい生活

離婚後は、

アパートで実母と子供2人の生活を支える事となり

シングルマザーとしての厳しい生活が待っていました。

俳人としての活動に没頭するものの

俳句の世界で生計を立てるのは困難で

句会を主催して得られる会費や指導料、

講演会での謝礼などで家庭を支えましたが

涙を流すほど追い詰められていました。

そんな苦しい生活の中でも

俳句を通じて知り合った子供達の中には

家庭にトラブルを抱えて苦しんでいる子供がいて

元教師だけあって悩める子供達を放っておけず

保護者の了承を得たうえで

自宅に無償で住まわせ面倒をみていたようです。

シングルマザーとして奮闘していた頃の句

「つながれぬ手は垂れ 末黒野の太陽」

つないでいた手が離れてしい、その手は垂れたまま

焼き払われた真っ黒な野原に呆然と立ち尽くすが

希望の太陽を眺め、垂れたは手太陽を目がけるという

別離の苦しみの中から希望を見つけようとする一句。

松山の文化

その頃

松山と言えば「俳句の都」

俳句による町興しが進められ

テレビやラジオで俳句番組が始まり出し

番組出演や俳句講座など

俳句の仕事が少しずつ入るようになり

松山の文化によって生計が助けられます。

新たな出会い

2003年(平成15年)46歳の時

大阪でCMプロデューサーをしていた

加根光夫(かねみつお)さん(バツニ)が

ある番組への出演を依頼するため

夏井先生のもとを訪れますが、これが初対面となります。

加根さんは

かねてより趣味で俳句を詠んできたこともあり

大阪から松山まで足繁く句会に通い始め

次第に、夏井さんの俳句と人柄に惚れこんで

夏井先生に猛アプローチをかけたといいます。

夏井先生自身は

二度と結婚はしないと決めていて

再婚を渋っていましたが

自分の生活ぶりを見せたら諦めてくれるだろうと思い

「大家族」の住む家に彼を招き入れますが

得意の料理を始め、すぐに家族に馴染んでしまい

大阪から松山を訪れるたびに、

夏井先生の自宅で家族などの面倒を見ていました。

再婚

そして、

出会いから3年経った

2006年(平成18年)49歳の時

「歳を取っているけど、結婚しましょう」と

玄関先で彼のプロポーズを受け

57歳と49歳の「熟年夫婦」が誕生しました。

2013年1月に長男、5月に長女が結婚し

長女の結婚式の記念撮影の場に

前夫も訪れ「子供と彼女を頼みます」と伝え

加根さんと握手を交わしたそうです。

引き取って世話をした子ども達も

仕事を見つけて立派に巣立ち

現在は

夫婦2人暮らしで

彼は公私共にわたって

家事仕事、さらにマネージャーとして

夏井先生をサポートし続けています。

熟年結婚した夫に贈った句

「風のたてがみは 花野をゆく白髪」

苦難の「風」、雄々しい様の「たてがみ」、

自然の野や高原の「花野」、白髪が「夫」を表し

様々な人生の苦難にも夫が勇ましく立ち向かう様子の一句で

あなたがそばにいてくれて頼もしいと言う意味。

2015年3月

彼は、人間ドッグで肺がんの宣告され

手術は無事に成功しますが

夏井先生は

気を紛らわせようと、病の俳句を大量に作ったようで

当時の心境を察します。

俳句以外は無頓着

普段からお化粧をしないようで

ファッションやおしゃれへの興味もなく

愛用の服はユニクロで

髪をまとめているのは、

かんざし代わりの「鉛筆」というお団子の髪型で

早朝から

化粧気のないままパソコンに向かって仕事してます。

持っている靴は

冬用1足と夏用サンダル2足のみで

和服を着るのは

「プレバト!!」の収録や関連イベントのみで、

普段は洋服しか着ないとのことです。

まとめ

俳句への注目度が急に高まったのは、

「プレバト!!」というメディア以外の何ものでもないと

夏井先生はおっしゃっております。

夏井先生の原点である「俳句の種まき活動」と称する

俳句を使って、

言葉の楽しさやコミュニケーションの楽しさを

人々に伝える事を目的とした精力的な様々な活動に、

今後とも期待しております。

また、

世界最短の定型詩である日本の俳句、

17語に込められた思いが広がることを願っています。

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