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忖度(そんたく)とは何なのか!?本当の意味と語源由来の話

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「忖度(そんたく)」という言葉は

ある政治問題を機に

2017年の新語・流行語大賞になりました。

短期間で一躍注目を浴び、急激にメジャーな言葉となり、

日常会話やSNSなどでも頻繁に使われるようになりました。

この「忖度(そんたく)」とは

そもそもどういう意味なのでしょう・・・

忖度の漢字の意味

忖度(そんたく)の

「忖」という漢字は訓読みで「はかる」です。

「忄」の立心偏は「心」という字が偏になった形で、

「寸(すん)」は親指の幅を表す字です。

心を方寸と見て、心の臓を指し

 親指を当てて「脈拍をはかる」「寸法をはかる」の意味を持ち

 「心」と「はかる」との組み合わせにより

 「忖」の文字のみで

 「他人の気持ちを推しはかる」という意味があります。

「度(ど)」という漢字は

 「席(せき)」の省略形に

 「又」を組み合わせた漢字が「度」になります。

 「席(むしろ)」を「又(手)」で広げるという意味、

 「席(むしろ)」は、藁(わら)などを編んで作った敷物で

 「又」は右手の象形から「手」を意味します。

  むしろが一定の大きさであったので

 「度」は

  むしろを物差しにして「ものを測る」という意味になりました。

 「忖度」の「度」は「度合い」を知ることであり

  相手の思っていることの度合いを測る(推し量る)ために

 「度」という漢字が使われています。

「忖」も「度」も

 いずれの文字にも「はかる」という意味がある訳です。

忖度の意味

忖度は

 「他人の心中を推し量ること」という意味です。

 「推し量る(おしはかる)」とは、

 「ある事柄を基にして他の事柄の見当をつける」ことで

 「推し量る」の字のごとく、

 「推量する」、「推測する」ですから

 「他人の心中を推量すること」です。

 相手が今抱いている感情や心情を察する事、
 
  人の心を想像することが本来の「忖度」です。

「相手の意に沿った考えを察する」ことが大事なことです。

日本語辞書等では、

 「忖度」による上下の関係は説明がありませんし

 「自分自身を忖度する」というような使い方にはなりません。

忖度の歴史

歴史的にはいつ、忖度という語が登場したのかは

意外と昔から使われてきた言葉なのです。

紀元前1046年~前770年頃の

孔子(こうし)が編集した

中国最古の詩篇「詩経(しきょう)」の中の

「小雅(しょうが)・巧言(こうげん)」という詩に

「忖度」の言葉が出てきます。

前後は省略いたしますが

白文:他人有心、予忖度之

書き下し文:他人(たにん)心有り、予之(われこれ)を忖度す

訳:他人に悪心(良くない心)が有れば、私はそれを推し量るは易いこと

  他人に悪心あればこれを忖度するのは易いこと

 ※前後の文脈に関連すると

  「悪心」と訳されますが

  「忖度」そのものが「悪い」という意味ではありません。

  君子たる者は人々の「邪心」を推し量って

  良き正道に導くことの道理を説いていることであり

  臣下が上司を忖度するものではない

  つまり、

  推し量るのは王であり王が臣下の心を量ること、

  王が臣下にする「忖度」の用法が

  古代中国の「忖度」であったと思われます。

中国語が語源となって移入され

日本での古い用例は

 平安時代、903(延喜3)年成立の

 学問の神様として親しまれる

 菅原道真(すがわらのみちざね)の漢詩集

 「菅家後集(かんけこうしゅう)」の中の

 「叙意一百韻(じょいいっぴゃくいん)」という集に

 「舂韲由造化 忖度委陶甄」とあり

 「舂韲(しょうせい)は造化(ぞうか)に由(よ)る

 忖度は陶甄(とうけん)に委(ゆだ)ぬ」です。

 舂韲は食事、陶甄は万物を意味し

 「毎日の食事は天の心のままであるように

 他人の心を推し量ることは天に委ねる」という意味で

 菅原道真が左遷されて、無念の告白の詩といわれ

 「忖度」という言葉の存在が確認されています。

その後の用例は挙がらず

室町時代の

 1474年頃成立の文明本節用集(国語辞書)には

 「忖度 シュント 推量義也」の項目があり

 意味は単に「推量」のことで

 呉音(ごおん)で

 「忖度」を「じゅんど」と読んでいたことが伺えます。

 呉音(ごおん)とは
 
  漢音(中国北部での漢字の読み方)の

  渡来以前ににすでに日本に定着していた漢字音で

  朝鮮半島経由で伝来した中国南方系の読み方。

 「男女」を「なんにょ」と読むようなものです。

江戸時代には

 「忖度」の言葉が存在したかどうかは不明ですが

 江戸文学者によると

 上を忖度し下に忖度させる忖度社会が

 すでに江戸時代には出来上がっていたといいます。

明治時代になると

 「忖度」の文字が目立ってきます。

 評論や小説、政治家、教育者、学者などの間で

 明治、大正、昭和、平成と

 多岐に渡り文献に記載され「忖度」の用例が確認できます。

 特に政治関連で

 1945(昭和20)年頃の

 終戦後の占領期の時代から

 1950(昭和25)年代の前半頃まで

 「忖度」の言葉が国会で頻繁に使われています。

 この間、国会議事録では300回以上使われ

 GHQに配慮して「忖度」するという事で

 インフレを収め日本復興の為に「忖度」発言が多発し

 高度経済成長に入った1950年代後半から

 政界では

 「忖度」という言葉は減少していきますが

 文脈などによる「忖度」の用例は

 そこそこ普及していたと言えます。

2000年前後にマスコミによって

 「忖度」の用法が

 「上位者の意向を推し量る」意味合いを含んで

 利用されるようになったと考えられます。

豊洲市場の用地取得においての

 「忖度」発言に端を発し

 その後の森友・加計学園問題において

 連呼された「忖度」は

 おもねり・へつらい・おべっか・

 迎合(自分の考えをまげても

  他人の意に従って気に入られるようにする事)・

 責任回避・無責任といったニュアンスを含んで

 「忖度」と聞くと

 悪事の象徴かのような悪いイメージを持って

 世間に拡散してしまいました。

忖度する人の心

忖度する人の心は

自己保身欲求や出世などの見返りへの期待が潜んでいます。

他人に気に入られるように振る舞って

自分の利益を得ようとする風潮は

何も今にも江戸時代にも始まったことではなく

権力者に忖度して迎合するというネガティブな文化は

ずっと昔から根底に潜んでいる社会構造が存在します。

権力者に対して「おもねる」などの言葉はあっても

権力者の意向を推し量るという意味を示す言葉が

なかなか見当たらず

「忖度」がそういったニュアンスを付加して

使われてきたと考えられますが

「忖度」の言葉自体が悪いのではなく

「せざるを得ない そうしないわけにはいかない」という

日本独特の「空気」ではないでしょうか・・・

忖度がはびこるのは

上下関係、序列意識があることによって起こり

根底に横たわる社会構造の序列に自分を当てはめてしまいます。

政界のみならず、会社や学校あらゆる所で

自分の価値意識、他人の評価を気にしすぎて

忖度する事に時間とエネルギーを費やし

忖度は過度、過剰になっていき、

ストレスをため、心身に不調を来し

忖度疲労を起こしている人が増えているといいます。

日本社会の背景において

「空気を読む」社会

「見えない圧力」社会

変わらず日本人を支配する社会では

忖度は決してなくならないということです。

まとめ

整理しますと

忖度は

新しい概念を示した言葉ではなく

昔から使われている伝統的な言葉ですが

もともと

世間一般の日常での「忖度」の使用頻度そのものが低く

話題にならなかったというだけで

隠語で済んだはずの「忖度」でしたが

問題が露呈されて注目されたものです。

本来、

「忖度」という言葉は

相手に対する思いやりを表し

優しい心遣いの意味合いでも使われる言葉で

意味は

「他人の心を推し量る(推測する)」ことで

それ以上の意味を持ち合わせません。

「上位者の意向を推し量る」、

「上位者に配慮・迎合する」

「相手の気持を推量した上で行動する」といった

意味で使っている例が多く見受けられますが

それはまた別の違う話になります。

しかし

「〇〇を忖度する」が一般的な使い方であったのに

近年になって

主語にならない名詞だった「忖度」が

「忖度が働く」などという主語的な使われ方で文法が変化し

意味も

「上位者の気持を推量した上で・・・」

「・・・配慮する、迎合する、行動する」という

意味が付加され、

文法的にも意味も変わり一気に浸透してしまった現在の

「忖度」の用例を考察すると

言葉を正しく使うということは大切ですが

文化が変われば言葉も変化するものです。

例え

誤用でも使用する人が多くなれば

辞書の改訂も見直され

新しい言葉として認められるようにもなる事でしょう。

そして

自分が忖度する理由と忖度しない理由を考え

察することも大切ですが、

相手に直接確認すること

言葉にして伝えることも必要ではないでしょうか。

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