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除夜の鐘の由来や108つ撞くのはなぜ?撞き始まった歴史は近代だった!?

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除夜の鐘は12月31日、大晦日恒例の年越しの風物詩で年中行事の一つです。以外にも、鐘を打ち始めた「除夜の鐘」の歴史は近代からでした。その歴史を探っていきます。

梵鐘

寺院の釣鐘(つりがね)を梵鐘(ぼんしょう)といい、仏教用具として中国を中心とした東アジア広域で使用されてきた鐘です。

撞木(しゅもく:釣り鐘を突く棒)で撞(つ)き鳴らし、重く余韻のある響きが特徴で除夜の鐘で有名な「鐘」です。

梵鐘の「梵」は梵語(サンスリット語)のBRAHMAの音訳で、神聖・清浄の意味を持ち、梵鐘は「穢れがなく澄みきった清らかな音を出す鐘」です。

梵鐘の役割

法要など仏事の予鈴として撞(つ)くという、仏教の重要な役割や朝を知らせる(暁鐘 – ぎょうしょう)、夕を知らせる(昏鐘 – こんしょう)など音を鳴らすことで時刻を知らせるという役割にも用いられました。

また、そこで修行を積む僧侶たちが暮らしを続ける中で、俗世に関する考え事にとらわれてしまわないよう鐘の音を鳴らすことで仏道を再確認させる役割もありました。

鐘を打ち鳴らすこと、鐘の音の響きを耳にすることによって衆生の迷夢をさまし、一切の苦から逃れ、悟りに至る「功徳」が広大無辺に積まれるとされ周囲に住む人々に対しても時を告げるだけでなく、現世の苦をやわらげいつしか悟りを開けるようにという目的や願いがあったともされています。

現代に残されている梵鐘の多くには、本体部分に作られた理由や目的などが刻印されていることもありますので、許可を頂き見学できれば新たな歴史が発見できるかもしれません。

中国由来

説には中国の陰陽道から生まれた概念に、12月は「丑(うし)」の月であり、そして1月は「寅(とら)」の月です。その「丑」 「寅」の間が「艮(うしとら)」といわれる方角(北東)で鬼が入りやすい方角とされる「鬼門」になります。

12月31日の大晦日の夜から1月1日の元旦にかけては、時空における「鬼門」が発生するという理由から大晦日の夜の「鬼門」を封じ込める為、除夜の鐘を打ち鳴らしていたといいます。

何故、除夜の鐘なのかは陰陽道的には「金剋木(キンコクモク)」と言われる「木」を滅ぼすものは「金」という五行思想があります。

新春は「木」に該当しますので「木」を守るために「金」を傷めつける必要がありますから「金」に該当する「鐘」を「打つ」ということに繋がったと考えられています。

鐘に関しても仏教発祥の地インドを連想しますが、実際は中国大陸で紀元前16世紀~前5世紀にかけて打楽器として造られた青銅製の金属器が鐘の原形と言われます。

やがて大形となり建屋内に釣り下げる梵鐘に変わり、朝鮮半島を経て、日本へ多数伝わったと言われています。

日本最古の歴史書「日本書紀」に562年(古墳時代後期)大伴狭手彦(おおとものさでひこ)が高句麗(こうくり:現在の中国東北部の南部から朝鮮民主主義人民共和国、大韓民国北部)から、梵鐘を日本に持ち帰ったとの記録が残っています。

日本製の最古の梵鐘としては、制作:698年(文武2年:飛鳥時代)制作地:筑前糟屋評(えちぜんかすやこおり:現在の福岡市東区辺り)のものが京都・妙心寺(みょうしんじ)に国宝として安置されいます。

除日

「除」という言葉は「除く」で古いものを捨て(除き)新しいものを迎えるという意味があり「古い年を除く日」という「除の日」で「除日(じょじつ)」ともいわれます。

「除日」と「大晦日」は「12月31日」を表す言葉であり、「除夜」は「12月31日の夜」を指す言葉というわけです。

除日の夜(除夜)に撞かれる鐘なので「除夜の鐘」ということになります。

除夜の鐘

仏教的に悟りから遠ざかっている状態というのは、物事の真実がわからない(見えていない)状態で何が正しい事なのか判断できずに迷い続けてしまう。

それは真っ暗な闇夜を何の明かりもなく進むようなものなので「無明(むみょう)」というそうですが「無明」を取り除くことが目的であったことから、除夜の、「夜」を「除く」のごとく清らかな鐘をつくことによって「闇夜(無明)」を取り除く「除夜の鐘」と呼ぶそうです。

梵鐘から出る音は、「仏様の教え」や「仏様の声」であると考えられています。

除夜の鐘由来

日本の除夜の鐘は、中国の宋(そう)時代の960年~1279年頃になりますが、ほとんどの仏教辞典にも同じような内容で説明されているようです。

「仏教文化事典」(佼成出版社 1989)の「年越」という項目のなかに「起源は中国の宋時代、わが国では鎌倉時代以降禅寺で朝暮れの二回ついていたが、室町から除夜のみになり、いつしか除夜の鐘を合図に社寺へ初詣するようになった。」という「年越」という項目の説明があり特に「除夜の鐘」という項目がありません。

「江戸の除夜の鐘について 浦井祥子」という論考がありますが「江戸において時間をしらせる時の鐘を打つ場所、寺院は決められていたが、除夜の鐘について決まりがあったという資料がみあたらないとし、江戸において除夜の鐘を撞いたという事実は確認出来ない」というものです。

そして信憑性が高い史料として江戸時代後期の雑学本である、高田与清(たかだ ともきよ)著の「松屋筆記(まつのやひっき)」があげられています。

「除夜ノ鐘ハ、元旦ノ鐘、元旦ノ寅ノ一点に撞キ始メ、百八声ツク、・・・」元旦の寅の一点(現在の午前4時頃)に撞き始め・・・ということになり、夜中ではありません。

除夜の鐘は昭和から?

そもそも少なくとも室町時代から、江戸時代の時刻とは明るく仕事のできる時間を昼とし、暗くて仕事ができない時間を夜として、それぞれを6等分して不定な時刻が用いられていました。

朝、薄明が始まった日の出前を「明け六つ(現在の午前6時ごろ)」とし、夕方、薄明が終わった日の入り後を「暮れ六つ(現在の午後6時ごろ)」として1日が終わります。

夜明けを一日のはじめとしていますが、深夜の12時に日付が変更となるのは1872年(明治5年)からです。

梵鐘を撞くという風習は鎌倉時代に日本へと伝わたったのかもしれませんが、江戸時代まで除夜の鐘に関する記録はほとんど残っておらず、今のような庶民的な行事とは考えられません。

除夜の鐘が普及し始めたのは明治以降のことで広く一般化したのは昭和以降であると思われます。

1927年(昭和2年)、JOAK(東京放送局)のラジオによって史上初めて「除夜の鐘」の中継放送され「除夜の鐘」という風習が日本に広く定着するきっかけとなっっています。

なぜ108回撞くのか

除夜の鐘は、一般に108回撞かれます。

やはり諸説ありますが、月の数である12、二十四節気の24、七十二候の72を足した数であるという説。

また、仏教で108あるという「煩悩の数」を打ち払うために108回撞くと言われています。

108というのは「大変多い」ということで、数字自体にはあまり意味がないようです。撞き方も旧年中に107回撞き、新年に1回撞いたり、新年になってから撞きはじめるなど様々です。

最後に

興味深いことに心身をリラックスさせる「1/fゆらぎ (エフぶんのいちゆらぎ)」効果が梵鐘の余韻の中に含まれていることが証明され、心を癒す音であることが分かりました。

小川のせせらぎ、小鳥のさえずり、木漏れ日など生体リズムと共鳴し精神が安定するというものです。

近年では、この除夜の鐘を「騒音」と思う方もいるようで、苦情によって除夜の鐘を取り止める寺院も出てきているそうですが、今年、たくさんの人たちから受けた、ありがたい「ゴォ~~ン=ご恩」と共に心身ともに清らかな年越しを・・・

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