青い眼の人形の童謡と青い目の人形の友情人形は違う!?

公開日: : 最終更新日:2018/11/18

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「青い眼の人形(あおいめのにんぎょう)」は、

1921年(大正10)年12月

「金の船」第3巻・第12号で発表された

日本の童謡です。


「赤い靴」と同様、

異国情緒をかもし出す童謡です。


アメリカから

「青い目をしたセルロイド製のお人形がやって来た」ので

この歌が誕生したと思われていますが

実際は違うのです。


「赤い靴」のお話しも掲載しています。
    ↓
 童謡「赤い靴」

「青い眼の人形」の歌詞

  野口雨情(のぐちうじょう)作詞

  本居長世(もとおりながよ)作曲



 青い目をした お人形は

 アメリカ生まれの セルロイド

 日本の港へ ついたとき

 一杯涙を うかべてた

「わたしは言葉が わからない

 迷子になったら なんとしょう」

 やさしい日本の 嬢(じょう)ちゃんよ

 仲よく遊んで やっとくれ

 仲よく遊んで やっとくれ 
 

※歌が流れますので
 音量に注意してください。
 左の再生ボタンの ▷ をタップして下さい。 



青い眼の人形の内容

この歌に描かれている人形は

「キューピー人形」がモチーフです。


日本の子供に喜ばれて人気があり

セルロイド製のキューピー人形を

愛しく抱いて遊んでいる姿を見て

「青い眼の人形」の詩が出来上がり

本居長世が

アップテンポの「へ長調」で始まり

少し遅い「へ短調」に転調され、最後にまた「へ長調」に戻る、

長世の得意な作曲形式で

明るく愁いのある作曲で、国内で大流行しました。


大正時代は、

「童心主義」と言う

子どもを純粋無垢なものと捉え

童話や童謡がさかんに書かれた時で

数多くの児童文化が興隆した大正デモクラシー時代です。


主流は童心主義と言っても

人それぞれ、思う事、感じる事は違い

主義や思想もその時、時の流れで移り変わるものですが

当時の野口雨情も雨情なりの

童心主義の子ども観があり

純粋に

「子供の心に映ったそのままの感情」

「大人には無い純粋さをもった子供」

「子供の心の中には素直な良い感情がある」などを

重視した捉え方で、

子供を題材にするのではなく、

子供自身が自身の心に感じられるよう、

子供の見地に立ち、子供の世界に入って、詩にしています。


子供に成り代わって詩を書く野口雨情ですが

キューピー人形に接した雨情は

子供には優しい感情で受け止めてほしいと願い

人形を擬人化し

輸入された人形は「アメリカ人の少女」であり

異国人であるため、日本語がわからないから、

異国の少女の立場や気持ちを理解する事を

日本の子供たちに芽生えるよう求め

大人からは

仲良くしてほしいという、願いを込めた詩で

大人が子供を良い方へ導く教育的な要素があります。


また

全て国境なしの愛の教育でなければならいと

国際愛の声が教育上に持ち上がった時でもあり

「国際愛」がテーマでもあります。

関東大震災と青い眼の人形

1923年(大正12年)9月、

関東大震災により甚大な被害が発生し

世界中からアメリカでも日系米国人を中心に

多くの募金、援助物資が日本に寄せられました。


その返礼として

遣米答礼使節団(芸術答礼使節)が組まれ

1923年(大正12年)12月、

本居長世を団長に

長世の2人の娘「みどり」「貴美子」と

音楽家などと共に横浜港から

ハワイ、アメリカ各地に赴き

支援の謝意を伝えるべく、童謡コンサートを開き

特に

「青い眼の人形」が

「Blue eyd doll(ブルーアイドダル)」と訳され

大好評だったようです。


ちなみに

本居長世の長女「みどり」は

童謡歌手の第1号であり

童謡歌手のレコード吹き込み第1号でもあります。

もうひとつの青い目の人形

「青い目の人形」とは

日米親善のために

アメリカから贈られた人形の事を言います。


アメリカの仲介の下で

日露戦争が終結(明治38年)したものの、

他国内に持つ権利を巡り、日米の政治的緊張が高まり

また

日米の対立は

日本人のアメリカ移民に端を発しています。


1885年(明治18年)以降

農業従事者として新天地を求め

多くの日本人がアメリカやブラジルへ渡りました。


その後アメリカでは

急増する日本人移民への反感を招き、

暴動も散発し、日系人排斥の動きが高まり

大きな社会問題になり

1924年(大正13年)アメリカで

日本からの移民を全面禁止するという

「新移民法」が制定され、日米関係は悪化していきます。


ギューリック博士

そんななか

親日家のアメリカ人宣教師である

シドニー・ギューリック博士は、

(シドニー・ギューリック博士とは

 宣教師として1888年[明治21年]から

 滞日通算20年を越えるほど日本で暮らし

 布教や教育活動や学校の教授も務めた親日家。)

日に日に悪化する

日米の対立を懸念し、心を痛めていました。 


そんな時に聴いたのが

日本の震災で救援募金の時に歌われた

童謡「青い眼の人形」でした。


この歌を思い出したギューリック博士は

日米関係の改善を友好に繋げ、文化的に和らげようと

「友情の人形」を贈ろうと考えました。


日米子供達がお互いの国を知り合い

友情を結ぶことが改善に役立つと考え

子供の世代からの国際交流が必要という理念のもと

「国際親善、

 人と人との理解は大人になってからでは遅い。」

「世界の平和は子供から」を、スローガンとして掲げ

1926年(大正15年)

親善活動として世界児童親善会が結成され

日本の人形や雛祭りの文化を認知していた彼は

「日本の雛祭りに人形を送ろう」とアメリカ全土に呼びかけ

260万人というたくさんのアメリカ人の協力のもと

人形を日本に贈るプロジェクトとなる

「人形計画」が展開されました。 


もう一つ

ギューリック博士の思いは

日本の関東大震災において、

人形を失った子供たちを慰める意味も含まれていたのです。


1926年12月から

雛祭りに間に合うようにと

人形を乗せた船が、12隻に分かれ日本をめざして出港。


童謡「青い眼の人形」の発表から6年後の

1927年(昭和2年)1月18日

太平洋を越えて横浜港へ到着し、

続々と人形を乗せた船は横浜、神戸港に着き、

贈られてきた人形は

全部で12,739体にも及びます。

渋沢栄一

ギューリック博士は

かねてから昵懇の渋沢栄一(しぶさわ えいいち)に

日米交流の提案の手紙を出しており、

「日本資本主義の父」といわれる

財界の重鎮である、渋沢栄一が共感を覚え

日米関係の悪化を憂慮しながら仲介役を担い

外務省や文部省に協力を依頼し

人形の受け入れに尽力しました。

友情人形

この贈られてきた親善人形には

各々、友情の手紙が添えられ、渡航切符を持ち

また、

名前や発行番号、出身地などが記載されている

パスポートまでも添えられていて

「青い目の人形」として

日本各地の幼稚園・小学校と

当時の植民地だった樺太・朝鮮・台湾・関東州(後の満州)に

配られて大歓迎されました。


親善人形は

「友情の人形(Friendship Doll)」と、呼称されて贈られ来ており

「友情人形」または、「人形使節」が、

日本での通称ですが

贈り主側が「青い目の人形」と名付けたわけではなく

童謡「青い眼の人形」が流行していたため

友情人形は「青い目の人形」と呼ばれ定着しました。


ちなみに

贈られた人形は、必ずしも「青い目」ではなく

童謡の詩にある「セルロイド製」でもなく

合成物で固められた人形で

寝起きするたびに目をパチクリとさせ

抱き起こしたり腹を押すと「ママー」と声を出すので感動したようです。


日本に送られた人形のなかには

ドイツ製のものや、個人の愛玩品だった人形もあり

数は13,000体を越えていたのではないかと言われています。

答礼人形(とうれいにんぎょう)

ギューリック博士は

「返礼をしなけれとばと思うでしょうが

 決してその御心配はなさらないで下さい。

 喜ぶものは貴女がたから御手紙を戴く事です。」という

手紙の一文があります。


しかし日本では

返礼の品を送りたいという申し出の声があがり

少数にして精巧に作った人形を以って返礼する事になりなした。


雛祭りに送られた、青い目の人形への答礼として

渋沢栄一が、外務省から依頼され

「日本からもクリスマスに人形を送ろう」と

当時の経済不況のなか

全国の役場や小学校・幼稚園に

一銭募金を呼びかけに250万人の協力のもと

答礼人形は、

47道府県(当時東京府)と

6大都市の東京・横浜・名古屋・京都・大坂・神戸、

当時の植民地だった樺太・朝鮮・台湾・関東州(後の満州)、

そして日本代表(大日本)を加え合計58体です。


80㎝を超す高価な友情人形となる「市松人形58体」が

盛大な送別会が実施された後

パスポート、客船の一等切符、手紙などを持ち

1927年(昭和2年)11月10日

アメリカをめざして横浜を出港し

11月19日、ハワイを経由して

11月25日、サンフランシスコに到着し、

長期にわたりアメリカ各地をまわって紹介され

アメリカの人々は熱狂的に歓迎しました。


「量より質」を重視して製作した結果ですが

アメリカの人形1体が3ドルに対して、

製作費用は1体あたり付属品込みで

150ドル(約350円)の費用がかかったそうです。


当時、小学校教員の平均月給は、50円代で

消費者物価指数によれば

当時の350円は、現在では約57万円位に相当します。

人形に何の罪があろうか

1939年、第二次世界大戦が始まり

ヨーロッパ内での戦火でしたが

その最中

1941年(昭和16)12月

日本軍がマレー半島、真珠湾を攻撃し

アメリカなどの連合国に宣戦布告し、太平洋戦争が勃発。


それが全世界に拡大し、

史上最大の大戦争となってしまいました。


警察や軍の統制下におかれた日本での

戦争という悲しい運命は

敵対する国の文化も排斥されました。


敵国の歌とみなされ

童謡「青い眼の人形」、「赤い靴」や、ジャズなど

歌う事が禁じられてしまいます。


平和の架け橋となり贈られた

友情人形である「青い目の人形」は

敵国のものとみなされ

竹槍(たけやり)訓練の標的にされたり、

焼却されたり、壊されたりと

空襲や災害で失われたりなど

いわゆる自粛と言う、狂気の時世の中

国の想いを察して

各地の人たちが壊していったわけですが

しかし、

このような厳しい戦時下にあっても

戦争の愚かさに冷静な目を向け

人形に託された意義や平和を思い、

人形を守ろうとした人たちがいたのも事実で

現存数は

約330体程しか確認されていないようです。


悲しいですね。

「ママー」と泣く

「青い目の人形」を手にして感動した子供達が

大人になって壊す羽目となる事実・・・

最後に

地方に残る青い目の人形の再発見として

人形親善の継続として、ギューリック3世らから

新しい人形として

「新・青い目の人形」の寄贈が行われるようになりました。


偶然ですが、

この記事を書いてる今、

今と言うより今年は

「青い目の人形」が贈られて、90周年です。


数奇な運命でしたが

アメリカの子供達が

心をこめて贈ってくれた友情人形は

「平和」を象徴する大切な歴史ある宝物です。


人形は何も語りませんが、

なぜ遠い外国からやって来たのか?

世界の国々の子供達が

仲良くなることを願っているに違いありません。



雨情の童謡「青い眼の人形」ですが

発表された当時は「靑い目の人形」でした。

「目」の文字が「眼」に、現在は変更されています。


童   謡 =「青いの人形」

友情人形 =「青いの人形」

と、表記するよう

統一されているようですね。


最後まで、お読み頂きありがとうございました。

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