喝采 ちあきなおみの名曲は悲しい実話か!?伝説の歌姫デビュー50周年!喝采の誕生秘話

公開日: : 最終更新日:2018/10/03 人物

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喝采(かっさい)

という、楽曲。


「ちあきなおみ」の代表作で

亡くなってしまった恋人を思いつつ

プロの歌手として

ステージで歌っている心境を描いた曲。


「喝采」は大ヒットしてから、2017年で45年。

しかも、

2018年は「デビュー50周年」という節目・・・


時間にして約、3分30秒の楽曲

短い歌詞に秘められたお話しです。


歌詞と歌

この喝采は、

今でも時々、私の心の中で鳴り響く

胸に迫る歌のひとつ・・・


   「喝采」

       作詞:吉田旺
       作曲:中村泰士
       唄 :ちあきなおみ

        
いつものように 幕があき

恋の歌うたう私に 届いた報(しら)せは

黒いふちどりが ありました

あれは三年前 止めるあなた駅に残し

動きはじめた汽車に ひとり飛び乗った

ひなびた町の 昼下がり

教会の前に たたずみ

喪服の わたしは

祈る言葉さえ なくしてた



つたがからまる 白い壁

細いかげ長く落として 

ひとりの私は

こぼす涙さえ 忘れてた

暗い待合室 話す人もない私の

耳に私の歌が 通りすぎてゆく

いつものように 幕があく

降りそそぐライトの その中

それでも わたしは

今日も恋の歌 歌ってる

chiakiFile

※歌が流れますので
 音量に注意してください。

喝采の誕生秘話

この「喝采」は

当時25歳だった

「歌手・ちあきなおみ」の13枚目のシングル曲として

1972年(昭和47年)9月10日に発売されました。


その年の

「第14回日本レコード大賞」(1972年)の大賞を受賞し

リリースから3ヶ月でのレコード大賞受賞は

史上最短記録となりました。



当時、

ちあきなおみの実体験を元にして

作詞されたという触れ込みで

「私小説歌謡」「ドラマチック歌謡」として

プロモーションされましたが

実は

全くのフィクションであったのです。


彼女が、まだ10代だった下積みの前座歌手時代

兄のように慕っていた若手舞台俳優がいましたが

突然、病に倒れこの世を去ってしまいます。


そんな、

彼女の経験話が「詞」にされたという事ですが

実は、

作詞をした吉田旺(よしだ おう) は

ちあきの過去の実体験を知らずに

この歌詞を書いたという事です。



ちあきの体験と歌詞が偶然似ていたため、

「実体験」とすることで

プロモーション戦略に活かされてしまいました。


ちあきは

自身の辛い経験と似ていた歌詞ですから

「私この歌は歌いたくない・・・」と

マネージャーに伝えたというエピソードがあります。

歌に託すそれぞれの思い

作詞家、作曲家、担当プロデューサーにより

大ヒットとなる一曲が芽生えます。

作詞者の吉田旺(よしだ おう)

今でも

ちあきと親交がある、数少ない人物で

ちあき21歳の歌手デビューのとき

作詞を担当した吉田も

作詞家としてデビューを果たす経緯があり

それから3年後

「喝采」となる新曲の依頼を受けます。


レコードの売り上げ枚数が

やや下降線気味だったことを知り

彼女への特別な思いもあり

彼女の気持ちに応えるべく大量の歌詞を書きまくり

彼女の歌唱力を生かした

歌い手をテーマにした詞である

タイトル「幕が開く」が完成しました。

作曲者の中村泰士(なかむら たいじ)

タレント・歌手としても活動しており

作曲家としてはヒットメーカーとして知られています。


「喝采」の作曲に自ら名乗り出し

服部良一の「蘇州夜曲」と

アメリカの名曲「アメイジング・グレイス」を

モチーフにしています。


当時

演歌では多く使われていたものの

ポップス系ではあまり使われていない

「ヨナ抜き音階」で作曲しました。


ポップス系の本楽曲を

「ヨナ抜き音階」で作曲したことは

会心の出来だったと語っています。


  「ヨナ抜き音階」とは

   「四七抜き音階」とも表記し

   「ド」から始まる四番目の「ファ」と、

    七番目の「シ」が無い音階(ドレミソラ)のこと。

プロデューサーの東元晃(ひがしもとあきら)

レーベルは日本コロムビアで

本楽曲の歌詞に出てくる

「黒いふちどり」という詞が

「縁起が悪い」などの理由から

コロムビアや作曲者の中村泰士は

作詞者の吉田旺に歌詞を変えるよう提案しましたが

吉田は「いや、ここが核だから」と頑なに変えず

この部分の歌詞を貫いたといいます。


プロデューサーの東元によって

タイトルを「喝采」と命名し、リリースが決定しました。


このヒットの裏には

ちあきの担当者が入れ替わり

ポップス系の音楽を手がけていた

東元に変わったという経緯があり

彼なしでは「喝采」は

成り立たなかったかもしれません。

歌手のちあきなおみ

レコーディングの際には、

スタッフからも自分が歌う姿が見えないよう

スタジオのボーカルブースを黒いカーテンで囲み

誰にも姿を見せず、声を出すために裸足で臨みました。



また

それまでの歌謡曲にはなかった

「死」をイメージした

「黒いふちどり」を

ちあきなおみの繊細な表現力で歌いきることで

名曲が完成したともいえます。


まさに

心に辛い傷を負った彼女は

「私、この歌は唄いたくない・・・」とまで言った

それでも恋の歌を歌いきり

プロの歌手として歌い続けるのです。


ちあきに歌われるべくして歌われた

悲しい恋の歌・・・

tiakiなおみ

ちあきなおみの生い立ち

ちあきなおみこと

瀬川三恵子(せがわ みえこ)は、

1947年9月17日

東京板橋区に三姉妹の末っ子として生まれました。


芸事が好きな母親の影響から

1951年

4歳の頃からタップダンスを習い

米軍キャンプでタップを踊り

5歳で

日劇の「雪村いづみショー」で初舞台に立ち

普段は「白鳩みえ」という芸名で

米軍キャンプを廻りながら歌と踊りのレッスンに励み

小学2年生の時、引っ越しを機に

彼女は芸能活動を辞め

中学2年生までは普通に学校に通っていました。


1960年、両親の離婚に伴い

13歳で「メリー児玉」という芸名で

本格的な歌手活動の修行を開始し

芸能プロの「三芳プロ」に所属し

「五城ミエ」という芸名でジャズ喫茶などで

ロカビリーなどの洋楽曲を歌いましたが

ジャズ喫茶の衰退と共に

演歌も含んだ日本の流行歌などを歌い

レパートリーを広げていきます。


橋幸夫やこまどり姉妹などの前座歌手も務め

「喝采」のモデルとして知られる

兄のように慕っていた

瀬島政夫と知り合つたのもこの頃・・・


1965年

演歌の修行のため「流し」をしたり

全国のキャバレーなども回り

芸名は「南条美恵子」など

下積み時代の10代は芸名を変えながら

1968年

コロムビアのオーディションに応募するものの

結果は保留となります。


これがきっかけでレッスンに通うわけですが

演歌の売れ行きが厳しい時代で

演歌だけではなく「ポップス」の歌える歌手として

作曲家・鈴木淳の元でレッスンを受け

9年もの長い下積みの後

1969年(昭和44年)6月10日、

21歳になった彼女は

「雨に濡れた慕情」(鈴木淳作曲/吉田旺作詞)という

ジャズ系のポップスナンバーで

念願の歌手デビューを果たします。


下積みの苦労により

すでに

一流の「歌手」に成長していた彼女には

業界でもそれなりの地位を獲得するに至り

歌唱力の高さは絶賛されました。


デビュー時の彼女のキャッチ・コピーは、

「魅惑のハスキー・ボイン」と「苗字がなくて名前がふたつ」。


ちょっと可哀想なフレーズでしたが

1970年

「四つのお願い」(鈴木淳作曲/白鳥朝詠作詞)と

「X+Y=LOVE」(鈴木淳作曲/白鳥朝詠作詞)の

2曲を連続してヒットさせ一躍人気歌手となり

紅白歌合戦への初出場も果たし

俳優としてテレビ・ドラマに出演したりと

歌手でありながら体当たりな仕事もこなし

スターの仲間入りをしました。


1971年

低迷期を迎えたそんな中、

彼女の歌唱力に惚れ込み

曲を書かきたいと直訴したのは

作曲家の中村泰士でした。


作詞については、

彼女がデビュー曲を担当した吉田旺が指名され

プロデューサーの東元晃のもと

彼女の代表作である、名曲「喝采」が

誕生することになりました。


そして、みんなが

ちあきなおみという歌手は

並の歌手ではないと知っていたのです。

最後に

ちあきなおみの

芸名は、デビュー当時

フジテレビのプロデューサーであった

千秋予四夫(せんしゅうよしお)の姓を「ちあき」と読ませ

当時の所属事務所の社長が坂本竜馬を尊敬しており、

その子孫である坂本直道(さかもとなおみち)から

「なおみ」としたようです。



「喝采」で日本レコード大賞を受賞してから

6年後の1978年

俳優・ 郷鍈治(ごうえいじ)と結婚。


そして 

華やかなステージでスポットライトを浴びてきた

伝説の歌姫、ちあきなおみは

1992年

結婚生活14年で、最愛の夫・ 郷鍈治と死別し

彼女はそれ以来、

引退宣言もなく幕が開くことなく

表舞台から姿を消しました・・・



その後

彼女は活動を再開せずとも

業界は

CDの発売やCMのリバイバルや特番などを実行し

ステージに立ってない彼女に

スポットライトを当ててゆくことになり

いつの日か

幕が開くのを待ち望んだのかもしれません・・・


彼女は

「孤高の歌姫」とも

「生きながら伝説の歌姫」とも称され

今でも

終わらない伝説が続いています。


そんな彼女も9月(2017年)には

「古希(こき)」(70歳)を迎えます。


最後までお読み頂き有難うございました。

私の余談

以下は、

あくまで個人の見解ですので

宜しかったらお読み下さい・・・


「喝采」の歌詞をしみじみ眺めていると

大よその情景が

浮かんでくると思いますが・・・



そう、

あれは3年前、

自分の夢のため、歌の世界で生きること決断し

それを止めてくれた男性がいたのに

私は、

愛よりも夢を求め、すべてを捨て町を後にし

歌手として成功した。


彼の訃報が届き

彼の冥福を祈るために、飛び出した町に帰ってきた。


町・彼・愛を捨てた私がいて、そこに成功した私がいる

恋を捨てた私が、恋の歌を歌って喝采を浴びている・・・


捨てた事により成功し夢が叶った私は、

飛び出したときからの複雑な思いがよみがえり

ただ、たたずむだけで

言葉も涙も出てこない。


帰りの待合室

3年前のあの時

ここで止めてくれた彼はもう居ない・・・

まるで、つぐないの代償のように

何処からかともなく自分の恋の歌が聞こえる。


何事もなかったかのように

いつものようにステージに立ち

スポットライトを浴び、恋の歌を歌う。


●「ひなびた町の昼下がり」


  昼下がりですから

  教会に訪れたのが正午過ぎになります。


●「つたがからまる白い壁

 細いかげ長く落として」


  つたの影が長く伸びるほど

  そこにいた情景がわかります。


●「暗い待合室」


  待合室は駅です。

  日が落ちる頃、待合室に着いた事になります。


華やいだ世界にたどり着き

悲しい思いを秘めた心に鍵をかけ

今日も舞台で恋の歌を歌う、私だけがいる・・・


と、

勝手な個人の解釈でした・・・

本当に、最後までお読み頂きありがとうございました。

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