一粒の種でいいから生きていたい、遺言から生まれた命の唄の話

公開日: :

SPONSORED LINK

 

一粒の種とは

ある、がん患者の

亡くなる3日前に残した最期の言葉を

心を動かされた女性看護師が聞き取り、

「一粒の種」という詩を書き

その種が歌となって花が咲き

様々な人の様々な想いと共に生まれた曲です。


一粒の種が歌になるまで

愛する者の存在を感じながら

自分の存在が無くなると知ったとき、

たとえ、

一粒の種になってもいいから、生きていたい・・・

高橋尚子

看護師の高橋尚子さん(川崎市在住)

2002年12月、郷里の沖縄・宮古島から上京して

神奈川県内の大学病院に勤務。


ある日突然、下腹部に激痛が起こり

診察を受けると

卵巣にできていた腫瘍が破裂していて

細胞診の結果は、芳しいものではなく

「やっかいなことになった。」という医師の言葉に

高橋尚子さんは

がんの疑い、

そして最悪の事態を覚悟しました。


2003年2月

都内のがん専門病院にセカンドオピニオンを依頼し

婦人科がん病棟に入院。


開腹しないと

腫瘍が良性か悪性かはわからないと言われ

「子どもを置いて死ねない、

 どんな姿でも生きていたい。」と・・・手術。


それから2週間後

腫瘍は良性という結果により

1ヶ月間の患者生活は終わりを告げ

同じ病棟に入院するがん患者の

「何があっても生き続ける」という強さを実感し

自身の試練の場であったと同時に、

1人の看護師としての成長の場でもあったと言う。


「どんなに切り刻まれてもいいから生き続けたい。」と

生を希求し、

「もう1度白衣をまとい、患者と接したい。」と

仕事への思いを募らせていた高橋尚子さん(48)は

2003年9月、

余命3ヶ月の宣告を受けていた

末期がんの中島正人さん(当時46)を担当した。

中島正人

彼は

延命治療を拒み

高齢の両親を気遣いひとりで闘病していた。


高橋さんは思っていた。

「体の痛みや心の不安を口にする事は全くなく

 死を目前にしているのに

 まるで何ごともないかのように生きている。


 逆に

 看護スタッフや同室の患者に気遣うほどで

 なぜあんなに人に優しくいられるのか

 なぜあんなに冷静でいられるのか不思議だ。」と・・・

 看護師として何をしたらいいのか

 何をしてあげられるのか悩んだ。


2004年1月、

高橋さんが検温に病室を訪れたとき、

中島さんは体を震わせながら

高橋さんを見るなり

「死にたくねえ」と訴え

「一粒の種になりたい、一粒の種になって生き続けたい」と

大粒の涙をぼろぼろこぼし叫び続けていた。


想像もつかない壮絶な光景を目のあたりにし

衝撃で身動きができなかったが

高橋さんは

中島さんの心の叫びを受け止めようと、

ただ中島さんに寄り添い続けた。


中島さんの

死を受容していたかのように思えた振る舞いは

実は、

激しく生を希求し続けていた。


老いた両親を残して先立つ親不孝や無念さ

命の連鎖が途絶えてしまうことの恐れや絶望

人間として純粋に生を願う本来の姿だった。


その日の夜、

中島さんは危篤状態に陥り、3日後に息を引き取った。

決意

「一粒の種になりたい

 命の種になり、

 小さな芽でもいいからこの世に在りたい、

 生きていたい」という

彼がこの世で最後に口にした

叶わぬ遺志の言葉を聞いて、

やがて芽を吹き花をつけ実を結ぶよう

あなたの生きた証となる命の一粒の種を蒔こうと決意した。


受け持った「患者の最後の言葉」

そして

自らが受け取った「患者の最後の言葉」は

我が事のように心に響き

とめどなく言葉が自然と溢れてきて

中島さんの気持ちを書き綴り

「一粒の種」という一篇の詩となって誕生し

宮古島のメールマガジンにも投稿された詩である。


高橋さん自らが

がん疑いでの入院の体験から

「患者さんの本当の気持ちをわかっていなかった」事を

痛感しているから感じられる事であり

患者となった「生死を考える体験」が

あったからこそである。

下地勇

高橋さんの詩、「一粒の種」は

同じ沖縄・宮古島出身の友人である

シンガー・ソングライターの

下地勇(しもじ いさむ)さんに、歌にすべく託された。


しかし

「無念の思いで胸が締め付けられる。

 自分の死を身近に感じた人しか書けない詩。

 自分に曲はつけられない。」

「死にたくない」という切実な想いを受け止め

曲にするのは困難なことから、一度は断ったが

慕っていた叔父を亡くす経験を経た。


視点を

「もう一度必ず生まれ変わりたい」という願いに置きかえ

苦悩を重ね1年がかりで「一粒の種」を産み落とし

2006年の夏

下地さんから高橋さんに私家版CDが届いた。

両親

中島さんの老いた母親は

息子を失った悲しみのあまり、脳梗塞で倒れ、

食べることも喋ることも忘れ、

ベッド上の人になってしまった。


日々哀しみに暮れていた父親は

一日でも妻より長く生きて、

妻の側にいてやることだけが願いで

息子の眠る墓を訪れて心を慰めていた。


下地さんから届いたCDを聴かせると

父親はこの歌を

息子からの声でも聞くかのように、

ただ黙って聴き入ったという。


一切の反応を示さなくなっていた母親は

「これ、誰が歌っているの?」と

自らの意思で言葉を発し周りの者も驚いたという。


楽曲になった底知れない息子の遺志である。


曲は

下地さんがライブやテレビ番組で歌い、

沖縄で話題になっていった。


砂川恵理歌

2009年2月

中島さんの死から5年を経てようやくCD化される。


下地さんは「自分よりふさわしい人に」と思い、

同じ宮古島出身で介護職の経験がある友人の歌手、

砂川恵理歌(すながわえりか)さん(31)に

花を咲かせる役割を託した。


初めて下地さんの歌を聴いたとき

親しかった、いとこを白血病で亡くしたばかりで

いとこが

「生きたかったといっている気がして涙がでた。

 運命を感じた。」と言う。



より多くの人に聴いてほしいという願いから

「スマイル・シード・プロジェクト」となる

全国の学校や医療関係施設などで

チャリティコンサートを実施している。


「一粒の種」この歌は

コンサートに「来てください」ではなく

自分から「届けに行く」という彼女の思いが込められ

ひとりひとり目と目が合う距離で届けることで

そこでの出会いがまた繋がっていき

人生の「一粒の種」が蒔かれ

人から人へと託された種は、共に芽となり育っていく。


砂川恵理歌さんの

命に向かい合える心と抑制された歌唱力で

語りかけるように歌われるこの歌は

生きることの愛しさ、

そして

失った愛する人はいつも側にいることを教えられる、

大切な人、大切な記憶に寄り添う唄

大切な命を次の世代へ繋げる

静かで強い命の唄となった。

慈しみの一粒の種

一生を終えようとする人の最後の言葉

「一粒の種、生きたい」と言い遺す

無常にもまだ放つ命の声がある。


目前に迫る「死」を知った者の魂の叫びであり

生への執着も生々しく壮絶である。


人は生きて死に逝く。

生まれたことは、

その時からやがて死ぬということが決まっている。


この世に生を受けた定めであり

それを受け入れるのは容易なことではないが

向き合わなければならない。

全て、永遠に存在するものはない。


ただ、

あきらめたら、

輝きを失い、そこからは何も生まれない。


この歌の原詩は、

「生きていたい」という

深い悲しみが込められた詩であるが

歌になった「一粒の種」は

残された者への深い慈しみのメッセージとなり

優しさに包まれた慈愛に満ち溢れる勇気づけられる歌だ。

原詩

原詩 「一粒の種」

詩:中島正人/高橋尚子

                  
 一粒の種になりたい 

 ちっちゃくていいから 一粒の種になりたい

 俺の命の 一粒の種になりたいよ


 ちっちゃな種になったら 風に飛ばされ

 どっかへいってしまうんだろうな

 それでもいいよ

 好きな所に飛んでって 

 自分に合う場所が見つかったら

 そこに降りればいい

 土に根をおろし 芽をだして

 樹になれ 花になれ

 俺 人間の種になりたい


 菜の花の本当の姿って知ってるか

 春の一番に咲き 花は一色だけの色をつけ
  
 匂いは遠くまでひろがるんだ

 花が終わっても茎ごと根ごと肥料になり 

 丸ごと大地の栄養だ
 
 もとはみんな一粒の種だ


 生まれてきたとき 首にへその緒が巻き付いて

 死んで生まれてきたと言われたよ

 それが今日まで生きて 今また死ぬんなら

 あん時死んだほうがましだったかと 聞かれたよ

 そんなことはない

 人に出会って 語って 笑って 泣いた
 
 生きてよかったと思ってるさ
 
 生まれて良かったと思ってるさ


 俺は人間の種になりてー

 たった一粒でいい ちっちゃくていいから

 人間の種になりたいよ



涙が痩せた頬を伝う 途切れざまに聞こえるあなたの声

どこを向いて祈れば この祈りは届きますか

どの位祈りを声にしたら この願いは叶いますか


一粒の種は やがて芽を吹き花をつけ実を結ぶ

めぐる季節の中で繰り返す 命の始めと終わり

あなたは消えても あなたが生きたことは決して消えない

あなたの命の種が

風に乗り 山を越え 海を渡りどこまでも

自由に飛んでいけるように 私が一粒の種を蒔こう

あなたの 生きた命の種を

一粒の種 歌詞

一粒の種 

作曲:下地勇

作詞:中島正人/高橋尚子/下地勇


 一粒の種に 一粒の種に

 ちっちゃくていいから

 私もう一度 一粒の種になるよ


 出会って 語って 笑って 泣いた

 生きててよかったよ

 あなたのそばでよかったよ


 一粒の種は風に飛ばされ

 どっかへ行ってしまうけれど

 あなたへと辿る確かな道を

 少しずつ舞い戻って

 丘の上からあなたにだけ見える

 闇にも負けない光を放とう

 ささやかな日々に愛をもらった

 私にはそれができる

 一粒の種に 一粒の種に

 ちっちゃくていいけど

 あなたにだけ 気づいてもらえる種になる


 痩せた頬に もう涙を流さないで

 震える声で もう語りかけないで

 私は笑顔であなたを見ている

 私を愛するあなたを見ている


 心配ばかりかけてごめんね

 淋しい思いさせてごめんね

 そろそろあなたを 次の場所で喜ばせてあげるから


 一粒の種に 一粒の種に

 ちっちゃくていいから

 命の種に 必ずなるから

 すぐそばにいるから

MOVIES

「一粒の種」の「合唱」というMOVIEになります。

砂川恵理歌「一粒の種 ~合唱~」(最初に語り有)


アニメ画バージョン
砂川恵理歌「一粒の種 ~合唱~」



多くの方に繋がって頂きたいと願い

よしもとミュージックエンタテインメントより

掲載させて頂きました。

SPONSORED LINK

関連記事

五木の子守唄は子守唄ではない!?五木村の守り子唄の悲しいルーツ話

五木の子守唄(いつきのこもりうた)は 熊本県球磨郡(くまぐん)五木村に伝わる子守唄です。

記事を読む

【プリンセス駅伝】クイーンズ駅伝を逃したハプニング、岡本春美の脱水症蛇行編

プリンセス駅伝とは 愛称「プリンセス駅伝in宗像・福津」と呼ばれ 実業団女子日本一決定戦

記事を読む

童謡「赤い靴」はいてた女の子は実話だった?本当は異国に行っていない悲しい歌!

「赤い靴(あかいくつ)」の 童謡(どうよう)は、ご存知でしょうか? ある少女が

記事を読む

幸せの「はひふへほ」の話。心癒す知恵ある人生の言葉は幸福への入口

幸せの「はひふへほ」を ご存じでしょうか? 幸せって何だろう? 幸せって人それ

記事を読む

円山動物園のチンパンジー「レディ」に遺産1000万円を寄付した男性の感動秘話物語

円山動物園と言えば 札幌市中央区の 円山公園内にある動物園。 上野動物園(東京

記事を読む

青い眼の人形の童謡と青い目の人形の友情人形は違う!?

「青い眼の人形(あおいめのにんぎょう)」は、 1921年(大正10)年12月 「金の船」

記事を読む

【親父の小言】の由来.常識な小言は心の琴線に触れる.それは江戸時代に存在していた!

親父の小言は 処世訓を短い言葉で連ねた 全45ヶ条の小言を記した格言集です。

記事を読む

一杯のかけそば、幸せのテーブルに置かれた善意、幻の童話は色褪せない話

一杯のかけそば 一大ブームを巻き起こして 消えていった話ですので ご存じの方はたく

記事を読む

あるバッタの話、ガンバッタ中学生のものスゴイいい話し

感動しました。 「あるバッタの話」って、ご存知ですか? とても面白い話で、素敵だと思いま

記事を読む

読んだ人の9割が涙した感動実話.人生の鏡の法則は自分に問題があった

読んでみたら9割の人が涙したという物語で 実話に基づくお話です。 本当のタイトルは

記事を読む

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください



OLの日は11月25日.OL誕生は東京オリンピックに由来していたエピソード

OLの日は11月25日。 働く女性の異業種間交流サークルの

たすけあいの日.10月15日.助け合う.協力することで生き延びてきた人類

10月15日は「たすけあいの日」。 1965年(昭和40年)に

台風の通り道日本なぜ?台風のメカニズムは?9月26日は台風襲来の日

台風襲来の日は9月26日です。 1954年(昭和29年)

かき氷やアイスでキーンと頭痛の予防.対処法.なぜ頭が痛くなる?アイスクリーム頭痛とは?

かき氷やアイスなど 冷たいものを食べたとき 頭がキーン!と

女子大生の日は8月16日、日本初の女子大生が誕生し道を切り拓いた深い意味のある日

女子大生の日は 1913年(大正2年)の8月16日 東北帝

→もっと見る

PAGE TOP ↑