一杯のかけそば、幸せのテーブルに置かれた善意、幻の童話は色褪せない話

公開日: : 最終更新日:2018/08/17

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一杯のかけそば

一大ブームを巻き起こして

消えていった話ですので

ご存じの方はたくさんいらっしゃると思います。

概要

札幌の大晦日の夜

2人の幼子を連れた貧相な身なりの女性が

閉店間際のそば屋へやってきて

注文したのは150円のかけそば1杯だけ。


苦しい懐事情を察した店主は

そばを増量して提供します。


1杯のかけそばを

3人額を寄せあって食べています。


3人にとって

父の好物だったこの店のかけそばを食べることが

年に1度の贅沢だったのです。


次の年の大晦日の夜も

そば屋へやってきて、かけそば1杯を注文します。


その次の年の大晦日の夜も

そば屋へやってきます。


ある年から

母子は、ぱったりと来なくなり

そば屋夫婦は、いつの日か来るだろうと

毎年大晦日の夜だけ

母子のために席を空けておくようになります。


最初に親子が訪れてから

数年後の大晦日

成人した2人の子供が母親と共にやってきて

かけそばを注文するのでした。

一杯のかけそば ブームの終焉

もともとは

作者が全国を口演で行脚し披露していた話が

1988年、

作品集の一編として書籍化された

「一杯のかけそば」が口コミで人気が広がりました。


1989年2月

衆議院予算委員会でも朗読され、映画化もされ

人情話として

社会現象ともいえる盛り上がりをみせ

実話を元にした

「読む人誰もが涙する童話」という触れ込みでした。


5月に

日本中で大きなブームとなりましたが

「創作ではないか!?」

「店主は事情を察したなら、3人分出すべきだった」

「その時代に一杯の値段は150円もしない」

「150円あったらインスタントのそばが3個買えたはず」など

様々な矛盾や指摘や批判があがり

丁度重なって、

作者についても美談とは相反するスキャンダルが報じられ

次第に作品以外の

作者の実生活の不祥事にスポットがあたり出します。


6月頃にはまさに

「幻の童話」としてブームが終焉してしまいました。

話の味は、変わらない

実話と言っていたものが嘘だとわかり

作者の人間性が疑われると

人間って

ものすごく見る目が変わって

あっという間に作品の価値が

「心温まるいい話」から「怪しい作り話」へと地に堕ち

悪評が立ち、叩かれて消えてゆくのですね・・・


実話化しようとした前提の問題でもあり

「実話」という触れ込みに対し

「作り話」だったという点や

作者の不祥事は勿論のこと、良いという事ではありません。


当時以外にも

被害を被った人も

読んで裏切られたと思う人もいますし

問題があったことに関し様々な見解がありましたが

その点は抜きにして

作品だけをクローズアップしますと

物語の世界の中において、

作者がだれであろうと

話が嘘なのか本当なのか

実話か作り話かは関係ないと思うのです。


文字が書かれた

作文のような作品のようなものがあり

事情とか背景とか評判とか何も知らずに

読みたいと思う人が読んでみて

感じたり思ったりすることで

賛同や反感となって表れるのではないでしょうか。


それで

作文だか詩だか文学というものへの批評となるわけで

読んだ人たちがどのような感想を持ったとしても

それが

作品に対する人それぞれの価値だと思うのです。


例えが適切ではないかもしれませんが

お坊さんの説法となれば

自分の知らない話をしてくれますし

増して

経験豊富だと思い込んでますから

多くの人は「なるほど!良い話」だと思うでしょうが

「くそ坊主」だと偏見を抱いている人は

話に耳も傾けないですね。


若者が意見を言えば

「今の若者はわかっていない!」とか

昔の価値観に囚われていては

発展しないのです。


若者に見えた、考えた意見を受け止めることも

未来を尊重する大切な話だと思います。


話がそれましたが「一杯のかけそば」は

突っ込んだら切りがないのですが

親子3人が主人公と思われがちですが

苦境の親子を応援したい気持ちで

一杯のかけそばに心を込め分量を増やす

そば屋夫婦が主人公であるように思います。


そして

インスタント麺でなく、あえてこの店の

一杯150円の「かけそば」を食べに来たのかは、

亡き父との思い出の店だからですが・・・

しかし、何故市販の

50円のインスタント麺を

3人それぞれで食べなかったのか!?


・・・残念ながら「答え」は、教えられないのです。

 何故って!?

 それを言ったら話が成立しないと言っておきましょう・・・


感受性は人それぞれで

「一杯のかけそば」の話は

何かしら感じられるものがあると思います。

一杯のかけそば

長い長い話になりますので

興味のある方、お時間のある方はご一読を・・・
一杯のかけそば(1988年)


この物語は、

今(当時1988年)から15年ほど前の12月31日、

札幌の街にある、そば屋「北海亭」での出来事から始まります。


そば屋にとって一番のかき入れ時は大晦日である。

北海亭も

この日ばかりは朝からてんてこ舞いの忙しさだった。


いつもは

夜の12時過ぎまで賑やかな表通りだが、

大晦日ともなると

夕方になるにつれ家路につく人々の足も速くなる。


午後10時を回ると北海亭の客足もぱったりと止まる。


常連客から「女将さん」と呼ばれているその妻は、

頃合いを見計らって

根は優しいのだが無愛想な主人に代わって、

忙しかった1日をねぎらい、大入り袋と土産のそばを持たせて、

パートタイムの従業員を帰した。


最後の客が店を出たところで、

「そろそろ表の暖簾(のれん)を下げようか」と

主人と女将が話をしていた時、

入口の戸が「ガラガラガラ」と力無く開いて、

2人の子どもを連れた女性が入ってきた。


6歳と10歳くらいの男の子は

真新しい揃いのトレーニングウェア姿で、

女性は

季節はずれのチェックの半コートを着ていた。


「いらっしゃいませ!」と迎える女将に、

その女性はおずおずと言った。


「あのー・・・かけそば・・・1人前なのですが・・・よろしいでしょうか?」


後ろでは、

2人の子ども達が心配顔で見上げている。


「えっ・・・えぇどうぞ。どうぞこちらへ」と、


女将は、

暖房に近い2番テーブルへ案内しながら、

カウンターの奥に向かって、

「かけ1丁!」と声をかける。


それを受けた主人は、

チラリと3人連れに目をやりながら、

「あいよっ! かけ1丁!」とこたえ、

玉そば1個と、

妻子に悟られぬよう気遣い

さらに半個分を加えてゆでる。


玉そば1個で1人前の量であるが

大盛りの分量にあたる、ひと玉半のそばがゆで上がる。


テーブルに出された1杯のかけそばを囲んで、

額を寄せあって食べている3人の話し声が

カウンターの中までかすかに届く。


「おいしいね」と兄。

「お母さんも食べなよ」と、弟は

1本のそばをつまんで母親の口に持っていった。


やがて食べ終え、150円の代金を支払い、

「ごちそうさまでした」と頭を下げて出ていく母子3人に、

「ありがとうございました! どうかよいお年を!」と

声を合わせる主人と女将。





新しい年を迎えた北海亭は、

相変わらずの忙しい毎日の中で1年が過ぎ、

再び大晦日の12月31日がやってきた。


前年以上の猫の手も借りたいような1日が終わり、

午後10時を過ぎたところで、店を閉めようとした時、

「ガラガラガラ」と戸が開いて、

2人の男の子を連れた女性が入ってきた。


女将は

女性の着ているチェックの半コートを見て、

1年前の大晦日の最後の客を思いだした。


「あのー・・・かけそば・・・1人前なのですが・・・よろしいでしょうか?」


「どうぞどうぞ。こちらへ」と

女将は、

昨年と同じ2番テーブルへ案内しながら、

「かけ1丁!」と大きな声をかける。


「あいよっ! かけ1丁」と主人はこたえながら、

消したばかりのコンロに火を入れる。


女将は

「ねぇお前さん、サービスという事で3人前、出して上げようよ」と

そっと耳打ちするが

「だめだ、だめだ、そんな事したら、かえって気をつかうべ」と

言いながら玉そば1つ半をゆで上げる夫を見て、

「お前さん、仏頂面(ぶっちょうづら)してるけどいいとこあるねぇ」と

ほほ笑む妻に対し、

相変わらず黙って盛りつけをする主人である。


テーブルの上の、1杯のそばを囲んだ母子3人の会話が、

カウンターの中と外に立っている2人に聞こえる。


「おいしいね」と兄。

「今年も北海亭のおそば食べれたね」と弟。


「来年も食べれるといいわね・・・」


食べ終えて、

150円を支払い、出ていく3人の後ろ姿に

「ありがとうございました! どうかよいお年を!」と

その日、

何十回とくり返した言葉で送り出した。





商売繁盛のうちに迎えたその翌年の大晦日の夜、

北海亭の主人と女将は、

互いに口にこそ出さないが、9時半を過ぎた頃より、

そわそわと落ち着かない。


10時を回ったところで従業員を帰した主人は、

壁に下げてあるメニュー札を次々と裏返した。


今年の夏に値上げして

「かけそば200円」と書かれていたメニュー札を、

裏返し150円に変えた。


2番テーブルの上には、

すでに30分も前から「予約席」の札が女将によって置かれていた。


10時半になって、

店内の客足がとぎれるのを待っていたかのように、

母と子の3人連れが入ってきた。


兄は中学生の制服、

弟は去年兄が着ていた大きめのジャンパーを着ていた。


2人とも見違えるほどに成長していたが、

母親は

色あせたあのチェックの半コート姿のままだった。


「いらっしゃいませ!」と笑顔で迎える女将に、

母親はおずおずと言う。


「あのー・・・かけそば・・・2人前なのですが・・・よろしいでしょうか?」


「えっ・・・どうぞどうぞ。さぁこちらへ」と

2番テーブルへ案内しながら、

そこにあった「予約席」の札を何気なく隠し、

カウンターに向かって「かけ2丁!」

それを受けて「あいよっ! かけ2丁!」とこたえた主人は、

玉そば3個を湯の中にほうり込んだ。


2杯のかけそばを

互いに食べあう母子3人の明るい笑い声が聞こえ、

話も弾んでいるのがわかる。


カウンターの中で

思わず目と目を見交わしてほほ笑む女将と、

例の仏頂面のまま「うん、うん」とうなずく主人である。



「お兄ちゃん、淳ちゃん・・・今日は2人に、

 お母さんからお礼が言いたいの」



「・・・お礼って・・・どうしたの?」


「実はね、死んだお父さんが起こした事故で、

 8人もの人にけがをさせ迷惑をかけてしまったんだけど・・・

 保険でも支払いできなかった分を、

 毎月5万円ずつ払い続けていたの」



「うん、知ってるよ」


女将と主人は

身動きしないで、じっと聞いている。


「支払いは年明けの3月までになっていたけど、

 実は今日、ぜんぶ支払いを済ますことができたの」



「えっ! 本当、お母さん!」


「ええ、本当よ。

 お兄ちゃんは新聞配達をして頑張ってくれてるし、

 淳ちゃんがお買い物や夕飯の支度を毎日してくれたおかげで、

 お母さん安心して働くことができたの。


 よく頑張ったからって、会社から特別手当をいただいたの。

 それで支払いをぜんぶ終わらすことができたの」




「お母さん! お兄ちゃん! よかったね!

 でも、これからも、夕飯のしたくはボクがするよ」


「ボクも新聞配達、続けるよ。淳! 頑張ろうな!」


「ありがとう。ほんとうにありがとう・・・」



兄は

「今だから言えるけど、

 淳とボク、お母さんに内緒にしていた事があるんだ。


 それはね・・・

 11月の日曜日、淳の授業参観の案内が、学校からあったでしょう?

 あの時、淳はもう1通、お母さん宛の手紙を預かってきてたんだ。


 淳の書いた作文が北海道の代表に選ばれて、

 全国コンクールに出品されることになって

 参観日に、その作文を淳に読んでもらうって・・・


 先生からの手紙をお母さんに見せれば

 むりして会社を休むのわかってるから、淳は、それを隠したんだ。

 そのこと淳の友だちから聞いたもんだから

 ボクが参観日に行ったんだ」


「そう・・・そうだったの・・・それで?」


「先生が

 “あなたは将来どんな人になりたいですか、という題で、

  全員に作文を書いてもらいましたが、

  淳くんは、『一杯のかけそば』という題で書いてくれました。

  これからその作文を読んでもらいます。”って言って

 淳に作文を読ませたんだ。


 ボクは『一杯のかけそば』って聞いただけで

 北海亭でのことだとわかったから・・・

 淳のヤツなんでそんな恥ずかしいことを書くんだ! と

 心の中で思ったんだ。


 作文はね・・・

 お父さんが、交通事故で死んでしまい、

 たくさんの借金が残ったこと、

 お母さんが、朝早くから夜遅くまで働いていること、

 ボクが朝刊夕刊の配達に行っていること・・・ぜんぶ読みあげたんだ。


 そして12月31日の夜、

 3人で食べた1杯のかけそばが、とてもおいしかったこと・・・

 3人でたった1杯しか頼まないのに、

 おそば屋のおじさんとおばさんは、

 ありがとうございました! どうかよいお年を!って

 大きな声をかけてくれたこと。


 その声は・・・

 負けるなよ! 頑張れよ! 生きるんだよ!って

 言ってるような気がしたって。

 それで淳は、大人になったら

 お客さんに、頑張ってね! 幸せにね!って思いを込めて、

 ありがとうございました! って言える

 日本一のおそば屋さんになります!って

 大きな声で読みあげたんだよ」


カウンターの中で

聞き耳を立てていたはずの主人と女将の姿が見えない。


カウンターの奥にしゃがみ込んだ2人は、

1本のタオルの端を互いに引っ張り合うようにつかんで、

こらえきれず溢れ出る涙を拭っていた。


「作文を読み終わったとき、

 先生が、

 “淳くんのお兄さんがお母さんにかわって来ていますので、

  ここで挨拶をして頂きましょう。”って言ったんだ。」


「まぁ、それで、お兄ちゃんどうしたの?」


「突然言われたから、初めは言葉が出なかったけど・・・

 皆さん、いつも淳と仲よくしてくれてありがとう。


 弟は、毎日夕飯のしたくをしています。

 だからクラブ活動の途中で帰るので、迷惑をかけていると思います。


 今、弟が『一杯のかけそば』と読み始めたとき

 ボクは恥ずかしいと思いました・・・

 でも、胸を張って大きな声で読みあげている弟を見ているうちに、

 1杯のかけそばを恥ずかしいと思う、そのボクの心の方が

 もっと恥ずかしいことだと思いました。


 あの時・・・1杯のかけそばを頼んでくれた

 お母さんの勇気を、忘れてはいけないと思います。


 兄弟、力を合わせ、お母さんを守っていきます。

 これからも淳と仲よくして下さい。って言ったんだ」


しんみりと、互いに手を握ったり、

笑い転げるようにして肩を叩きあったり、

昨年までとは、打って変わった楽しげな年越しそばを食べ終え、

300円を支払い「ごちそうさまでした」と、

深々と頭を下げて出て行く3人を、

主人と女将は1年を締めくくる大きな声で、

「ありがとうございました! どうかよいお年を!」と送り出した。





また1年が過ぎて・・・

北海亭では、夜の9時過ぎから「予約席」の札を

2番テーブルの上に置いて待ちに待ったが、

あの母子3人は現れなかった。


次の年も、さらに次の年も、

2番テーブルを空けて待ったが、3人は現れなかった。


北海亭は商売繁盛のなかで、

店内改装をすることになり、テーブルや椅子も新しくしたが、

あの2番テーブルだけはそのまま残した。


真新しいテーブルが並ぶなかで、

1脚だけ古いテーブルが中央に置かれている。


「どうしてこれがここに?」と不思議がる客に、

主人と女将は『一杯のかけそば』のことを話し、

「このテーブルを見ては自分たちの励みにしている、

 いつの日か、あの3人のお客さんが、来てくださるかも知れない、

 その時、このテーブルで迎えたい」と説明していた。


その話が「幸せのテーブル」として、

客から客へと伝わった。


わざわざ遠くから訪ねてきて、そばを食べていく女学生がいたり、

そのテーブルが空くのを待って

注文をする若いカップルがいたりで、なかなかの人気を呼んでいた。





それから更に、

数年の歳月が流れた12月31日の夜のことである。


北海亭には同じ町内の商店会のメンバーで

家族同然のつきあいをしている仲間達が

それぞれの店じまいを終え集まってきていた。


北海亭で年越しそばを食べた後、

除夜の鐘の音を聞きながら仲間とその家族がそろって

近くの神社へ初詣に行くのが5~6年前からの恒例となっていた。


この夜も9時半過ぎに、

魚屋の夫婦が刺身を盛り合わせた

大皿を両手に持って入って来たのを合図だったかのように、

いつもの仲間30人余りが

酒や肴を手に次々と北海亭に集まってきた。


「幸せの2番テーブル」の物語の由来を知っている仲間達は、

互いに口にこそ出さないが

大晦日10時過ぎの予約席は

「おそらく今年も空いたまま新年を迎えるであろう・・・」と思っていた。


予約席をそっとしたまま、窮屈な小上がりの席を

全員が少しずつ身体をずらせて遅れてきた仲間を招き入れていた。


海水浴のエピソード、孫が生まれた話、大売り出しの話。


賑やかさが頂点に達した10時過ぎ、

入口の戸が「ガラガラガラ」と開いた。


幾人かの視線が入口に向けられ、全員が押し黙る。


北海亭の主人と女将以外は

誰も会ったことのない、あの「幸せの2番テーブル」の物語に出てくる

薄手のチェックの半コートを着た若い母親と

幼い2人の男の子を誰しもが想像するが、

入ってきたのは

スーツを着てオーバーを手にした2人の青年だった。


ホッとした溜め息が漏れ、賑やかさが戻る。


女将が申し訳なさそうな顔で

「あいにく、満席なものですから」丁重に断ろうとしたその時、

和服姿の婦人が深々と頭を下げ入ってきて2人の青年の間に立った。


店内にいる全ての者が息を呑んで聞き耳を立てる。


「あのー・・・かけそば・・・3人前なのですが・・・よろしいでしょうか?」

その声を聞いて女将の顔色が変わる。


十数年の歳月を瞬時に押しのけ、

あの日の若い母親と幼い2人の姿が目の前の3人と重なる。


カウンターの中から驚きのあまり目を見開いている主人と

今入ってきた3人の客とを交互に指さしながら

「あの・・・あの・・・、おまえさん・・・」と、

おろおろしている女将に青年の1人が言った。



「私達は14年前の大晦日の夜、

 親子3人で1人前のかけそばを注文した者です。

 あの時、一杯のかけそばに励まされ、

 3人手を取り合って生き抜くことが出来ました。

 その後、

 母の実家があります滋賀県へ越しました。


 私は今年、医師の国家試験に合格しまして

 京都の大学病院に小児科医の卵として勤めておりますが、

 年明け4月より札幌の総合病院で勤務することになりました。


 その病院への挨拶と父のお墓への報告を兼ね、

 弟は

 おそば屋さんにはなりませんでしたが、

 京都の銀行に勤めています。


 弟と相談をしまして、

 今までの人生の中で最高の贅沢を計画しました。


 それは大晦日に母と3人で

 札幌の北海亭さんを訪ね、3人前のかけそばを頼むことでした。」


うなずきながら聞いていた

女将と主人の目からどっと涙があふれ出る。


入口に近いテーブルに陣取っていた

八百屋の大将がそばを口に含んだまま聞いていたが、

そのままゴクッと飲み込んで立ち上がり

「おいおい、女将さん。何してんだよお。

 10年間この日のために用意して待ちに待った

 『大晦日10時過ぎの予約席』じゃないか。

 ご案内だよ。ご案内。」


八百屋に肩をぽんと叩かれ、気を取り直した女将は

「ようこそ、さあどうぞ。 お前さん!2番テーブルかけ3丁!」


仏頂面を涙でぬらした主人、

「あいよっ! かけ3丁!」

期せずして湧き上がる歓声と拍手の店の外では、

先程までちらついていた雪もやみ、

新雪にはね返った窓明かりが

「北海亭」と書かれた暖簾(のれん)を照らしだし、

ほんの一足早く吹く睦月(元旦)の風が揺らしていた。



終わり

※一杯のかけそば(栗っ子の会)を掲載しています。
長々と

最後までお読み頂きありがとうございました。

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